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60 度会郡城田村の現在と町村合併


Q かつて度会郡城田村という村名があったのに現在では残っていないということですが、そこが現在の行政区画ではどこに当たるのか、また、町村合併の経緯もあわせて聞かせてください。

(平成七年十月 県内個人)
A 度会郡城田村という村名は江戸時代の村にはありませんが、明治時代の市制・町村制施行に伴う町村合併により新しく設置されました。そして、昭和三十年に廃止されています。
 明治二十一年(一八八八)四月に市制・町村制が公布され、翌年四月に施行されることとなったため三重県でもその施行の前提として町村合併を促進したようで、明治二十二年三月一日の三重県令第十三号で「来ル四月一日ヨリ本県下町村ノ内左ノ通リ分合改称ス但旧町村ノ名称ヲ以テ大字トス」として、県下一斉に大合併が実施されました。
 このときに、度会郡上地村・中須村・川端村の三ケ村が合併し、度会郡城田村として新しい村を設置したのですが、この新しい村名については、町村制施行の際の申立書に「この地を従来、外城田郷と称し、他に類称名あるを以て『城田村』と称す」としてその説明をしています。「他に類称名あり」というのは、周辺に「東外城田村」・「下外城田村」・「内城田村」など村名が考えられていたためということでしょう。
 昭和二十八年九月に町村合併促進法が公布、同年十月施行されたことに伴い、城田村も宇治山田市への合併を基本方針として諸般の準備を整え、二十九年十二月に廃庁式を挙行しています。そして、翌年一月一日をもって宇治山田市に編入合併し、同日付けで伊勢市と改称されています。
 度会郡城田村は、誕生してから六六年間続いて消滅してしまいましたが、現在の行政区画では、三重県伊勢市上地町、同中須町及び同川端町となっています。
 三重県下の町村合併の大略を見てみますと、江戸末期には約一、八〇〇ケ村ありましたが、明治二十二年の市制・町村制施行による町村合併の結果、一市一八町三一七村となりました。その後は戦前に六市が誕生しましたが、あまり大掛かりな町村合併は行われていません。
 次の町村合併の大きな波は、町村合併促進法の施行でした。法施行の昭和二十八年十月一日時点で、三重県は七市三七町二三〇村になっていました。県では、町村合併促進審議会を開催し、この二六七町村を「七〇乃至八〇位の町村数とすることを目途として」(「町村合併の早わかり」)、町村に勧奨したり、県民に啓発宣伝するなどして町村合併を推進しました。その結果、町村合併促進法失効の三十一年九月三十日時点では、一二市四〇町三六村の八八市町村となりました。以後、新町村建設促進法などにより、未合併町村の合併推進や周辺町村の区域編入が行われ、現在では一三市四七町九村の六九市町村となっています。

参考文献

『三重県町村合併誌』 三重県総務部地方課 昭和三十四年
『伊勢市史』 昭和四十三年
『三重県史』資料編(現代1 政治・行政) 平成四年

グラフ 市町村数の変遷

グラフ 市町村数の変遷

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