43 神事用の「石風呂」
Q 三重県の度会郡玉城町宮古に神事用に使う「石風呂」があると聞いたのですが、その構造や使用方法と県下の他地域にもあるのか教えてください。 (平成八年十二月 県外報道機関)
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A 宮古にある「石風呂」は、昭和四十年に県の有形民俗文化財に指定されていて、県下で唯一現存するものです。この宮古で行われるお頭神事は潔斎が厳しく、獅子舞を執り行う八人は、前日の午前中に二見浦で垢離取りを行い、神事の当日の早朝、この「石風呂」で心身を清めなければならないのです。 「石風呂」の構造は瓦葺きの約二・五坪の小屋で、内部は浴場と炊き場の二室が荒壁で仕切ってあります。浴場は約一坪の広さで、方形に約四五センチの高さに栗石が積んであります。炊き場は、天井の栗石積みを支えるために二センチ角の鉄棒を縦横に渡し、ロストルの代用としています。 この「石風呂」に入るのは、昔は年二回、大晦日と旧正月十日の早朝の午前六時から七時頃でした。炊き上げるのに六時間ほどかかるため、前日の夜十二時頃から炊き出しますが、「石風呂」のそばにある小池には、石に重ねる竹の簀の子一枚とむしろ数枚をあらかじめ漬けておきます。午前六時頃炊き終えると、真っ赤になっている石の上に簀の子とぬれたむしろ数枚を重ね、池の水をバケツで五、六杯かけます。すると、ものすごい勢いで蒸気が発生します。蒸気が弱くなれば再度水をかけるそうです。中に入った者は五分間ほどで汗びっしょりとなり、汗とともに潔斎ができるということです。 県内の他地域の石風呂については、詳しくわかりせんが、同様のものは現存しないようです。ただ、『河芸町郷土史』によれば、安芸郡河芸町南黒田に宇気比神社の「弓うち」神事のときに使用した「石ブロ」が四ケ所あったということです。明治三十四年(一九〇一)頃になくなったらしいですが、宮古の「石風呂」と異なっている点は、石の上には簀の子の代わりに二つ割りの青竹を縄で編んだ箕を使うこと、水は小池でなく二間四方の風呂井戸から汲み上げたこと、神事の前々日の午後から炊き始め、翌日の昼頃に入浴し、当日の朝、冷水で垢離をとったことなどです。 また、度会郡度会町棚橋には「岩風呂」という小字があり、お頭神事の際にこの付近で獅子舞いをする習わしが今でも残っているとのことです。 このように、神事の潔斎用の「石風呂」は、民俗学的に見て大変珍しい貴重な資料です。 |
参考文献
河芸町郷土研究会『河芸町郷土史』 河芸町教育委員会 昭和五十三年
『度会町史』 昭和五十六年
金子延夫『玉城町史』第三巻 三重県郷土資料刊行会 平成五十九年
三重県教育委員会『三重県の民俗芸能』 平成六年
宮古石風呂復原断面略図