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5 「うまし国」と「神風の」


Q 以前、通勤電車の中の広告・テレビのCMなどや最近でもグルメ番組の特集で、伊勢・志摩をひとまとめにして「うまし国」と言っていたのを見聞きしました。また、伊勢を「神風の伊勢国」と言っていました。このような言いまわしや表記は、もともとどこにあったものでしょうか。

(平成九年七月 県内個人)
A まず、「うまし国」の方から見ていくこととしましょう。文献での初見は『日本書紀』巻六 垂仁天皇二十五年三月の条です。それは天照大神の祭祀を倭姫命に託した一節ですが、原文のうち、「可怜国(うまし国)」という言葉が出てる箇所は、次のとおりです。
 是神風伊勢国則常世之浪重浪帰国也、傍国可怜国也。欲居是国。
 その大意は、「この神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せる国である。大和の傍(かたわ)らにある国で、美しいよい国である。この国におりたいと思う」ということです。この史料からは、うまし国というのが、伊勢一国を指すことがわかりますが、これは特に伊勢国に限ったものではありません。
 本来、「うまし」という言葉は、うまい、味がよいという意味でありますが、もう一つは物に対する賛美の気持ちをあらわし、立派な、素晴らしい、良い、美しいという意味にもよく用いられています。ですから、この頃の「うまし」の表記には「味」のほか「可美」あるいは「可怜」・「怜可」などという字を当てています。『万葉集』巻一−二の中には「うまし国そ あきづ島 大和の国は」とあり、この「うまし国そ」は万葉仮名で「怜可国曾」という表記がなされています。
 次いで、「神風の」に目を転じてみます。先に引用した『日本書紀』の一文の冒頭には「是神風伊勢国」、『同書』巻三の神武天皇即位前紀戊午年十月の一節には「伽牟伽筮能伊齊能于瀰能於費異之(神風ノ伊勢ノ海ノ大石)」とあり、また『同書』巻十四の雄略天皇十二年十月にも「柯武柯噬能伊制能(神風ノ伊勢ノ)」という一節もあります。
 これらの用例のほかに、『万葉集』一−八−所収の和銅五年(七一二)に詠まれた「山の辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子ども相見つるかも」という短歌や持統天皇十年(六九六)柿本人麻呂が詠んだ長歌の中の一節に「度会の斎の宮ゆ神風にい吹き惑はし天雲を日の目も見せず」などがあります。
 以上のように、「神風」は古く「かむかぜ」と読み、「神の吹かせる風、神のいる所に吹く風」という意味ですが、「神風の」となると、伊勢にかかる枕詞とされています。

参考文献

新訂増補国史大系『日本書紀 前篇』 吉川弘文館 昭和六十二年
新編日本古典文学全集6『万葉集一』 小学館 平成六年

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