久居藩
久居藩は、寛文9(1669)年、津藩第2代藩主の藤堂高次(とうどうたかつぐ)が隠居する際、次男高通(たかみち)に5万石(後に3千石を加増)を分領して支藩を立てたことに始まります。この地に永久に鎮居(ちんきょ)したいという意で「久居」と命名したとされています。久居藩は、当初は総構えを持つ石垣造りの御殿が計画されましたが、幕府に許可されず陣屋を築きました。久居藩は約200年つづき、親しみを込めて久居の藤堂家は「小藤堂」と呼ばれました。陣屋跡は、現在は久居中学校と高通児童公園となっています。一部、土塁が残っています。


偕楽公園
偕楽公園は、元は「下部田山」又は「御殿山」と呼ばれ、津藩第11代藩主藤堂高猷(とうどうたかゆき)が 安政6(1859)年に別荘「御山荘」(ごさんそう)を設けたのが始まりで、その中の建物に「偕楽園」の額を掲げていたことに由来しています。

藤堂高猷は、偕楽公園の地の自然地形を生かした山荘造営を計画し、江戸から庭師や植木職人を呼びよせ庭を造りました。現在の桜の名所である原点は、この時、江戸桜(そめいよしの)をはじめ紅葉や五葉松を取り寄せて植えたことにあります。今、春になると多くの市民が訪れます。


偕楽公園は、明治に入って、国有地となり、その後「三重県公園」、津市に移管後は「津市公園」と変遷しました。また、明治40(1907)年に開催された第9回関西府県連合共進会の会場となり、60日間の会期中、78万人の見物客でにぎわいました。
現在の偕楽公園には、創建当時の建物はありませんが、江戸の藤堂藩染井屋敷から移したとされる「龍灯籠」、築山や池は残されており、毎年多くの市民が訪れる桜の名所になっています。津市指定史跡名勝になっています


髙山神社
津城跡には髙山神社 があります。神社名の「髙山」は、藤堂高虎の諱名が「寒松院道賢伊州羽林髙山権大僧都」のため 髙山公 と呼ばれたことによります。津駅前の偕楽公園内に明治10(1877)年に創建され、津城本丸跡を経て、昭和45(1970)年に現在の地に移転しました。髙山神社は、戦前にあった津城内で戦災にあい、絵馬堂を除き全焼しました。残された絵馬は、人形彫刻の名手、安本光政作で、欅の一枚板に彫刻が施されています。津市の指定文化財です。




寒松院
津市の寒松院は、藤堂家の菩提寺でした。津藩と支藩である久居藩の歴代藩主の墓が現在でも残されています。津藩は初代藤堂高虎から10代まで家族を含め15基、久居藩は10基が並んでいます。五輪塔と板石の塔の2種類があります。津指定史跡です。寒松院は、2代藩主藤堂高次が創設した昌泉院が始まりで、菩提寺になり、高虎の院号からとって寒松院と改められました。大きな寺院でしたが、明治になって藤堂家の庇護がなくなり、戦災で堂宇等が焼失し墓石も一部破損するなどの被害を受け、現在の大きさになりました。




津八幡宮
津市にある津八幡宮の創建は建武年間(1334~1336)で、当初は千歳山に鎮座していました。寛永9(1632)年、津藩2代藩主藤堂高次が現在地に遷座し、社殿を造営しています。その際、父親である藤堂高虎の御霊を合祀して津城下の鎮守社とし、寛永21(1644)年には社領300石を寄進されました。津八幡宮の祭礼として津まつりが始まり、現在まで約390年続いています。例祭で奉納される八幡獅子舞が津市指定無形民俗文化財に指定されています。また、社宝である八幡町文書が津市指定文化財になっています。




津観音
津市の中心部、伊勢街道沿いにある恵日山観音寺(津観音)は、日本三大観音の一つと称され「観音さん」と市民にも親しまれています。本尊の観音像は和銅2(709)年に阿漕浦で漁夫の網にかかったものと伝えられています。恵日山観音寺(津観音)は、塔頭7寺がある大寺院でした。また、津藩主藤堂家の祈願所でもあったため、境内には藤堂高虎から献上された銅灯篭があります。しかし、第二次大戦の時に、多くの寺宝とともに、塔頭7寺を含む41棟の大伽藍が一夜にして全焼しました。


恵日山観音寺(津観音)は、伊勢街道沿いにあります。江戸時代には国府阿弥陀三尊を江戸へ運び出張で開帳をしていました。伊勢神宮の「天照大神」の本地仏ともされ、伊勢神宮 の道中に参拝されるようになりました。
恵日山観音寺(津観音)は、『伊勢参宮名所図会』にもみえ、2月の「鬼押さえ節分」の紹介がされています。「鬼押さえ」とは、鬼が邪魔になった観音像を盗みにきたところ侍に退治された、という伝承に由来し、この行事は現在、形をかえ2月に行われています。
(『伊勢参宮名所図会』写真:国文学研究所)




恵日山観音寺(津観音)にある地蔵菩薩像の頭部は、藤堂高虎が朝鮮半島から持ち帰ったと伝わるものです。明治に銅体を鋳造しましたが、松の下敷きになり大破。その後大正時代に修復し、現在の場所に鎮座しましたが、戦災で焼夷弾を受けその傷が残っています。


四天王寺
津市にある四天王寺は、津の中心部の伊勢街道沿いにあり、聖徳太子が創建したと伝わる古刹です。境内からは奈良時代の瓦が出土し、また、木造薬師如来像(国重文)からは平安時代の胎内文書が見つかっています。四天王寺は、幾度となくの戦火に合い、江戸初期に建てられた山門が一番古い建物で、津市指定文化財です。このほか、絹本著色聖徳太子像や絹本著色藤堂高虎像附夫人像各1幅などの国重要文化財を所蔵しています。境内から出土した瓦など寺ゆかりのものは本堂で見ることができます。




四天王寺の境内の中には、本能寺の変後、安濃津城主の織田信包が呼び寄せたと伝わる織田信長 の母、花屋寿栄禅尼(土田御前)の墓があります。また、津藩の藤堂高虎の正室久方院の墓や漢学者の斎藤拙堂、日本最初期の写真家上野彦馬とともに写真を学んだ堀江鍬次郎の墓などがあります。
元和2(1616)年、藤堂高虎の正室の久方院がこの寺に埋葬され、高虎から寄進が行われました。元和5(1619)年には高虎らによってお堂が建てれ、厚く庇護されました。





四天王寺は、津藩によって厚く庇護されました。寛永15(1637)年には2代目藩主の藤堂高次によって本堂が造営され、寛永18(1640)年には山門が建てられました。このときに建てられた山門は現存しており、津市の有形文化財に指定されています。
聖徳太子の月替わり御朱印や織田信長の持仏であったと伝わる三面大黒像の御朱印等があります。また、新しい仏像の造立やコンサートなど、伝統を守りつつ新しい試みをはじめています。




三重縣護國神社
津市にある三重縣護國神社は、明治2(1869)年に第11代津藩主である藤堂高猷が戊辰戦争で戦死した藩士を祀るために建立した「招魂社」に関する棟札が発見されたことにより、三重縣護国神社は、藤堂藩と深い関わりがあることがわかりました。神社には、幕末に津藩士から奉納された日本刀が多数収蔵されています。刻まれた銘から現在の玉城町、伊賀市や津市で鋳造されたことがわかる刀などもあり、津藩の刀の調達方法などを知ることができる資料です。(非公開)
(写真は石水博物館企画展示より)



