藤堂高虎
戦国武将で、津・伊賀を治めた津藩初代藩主の藤堂高虎と、以後の藤堂藩の足跡をたどる文化観光をご紹介します。藤堂高虎は、慶長13(1608)年、伊予国今治より津・伊賀に転封になりました。その時の石高は約22万4千石、以後、軍功により加増され最終的には約32万4千石になりました。また、藤堂家は、江戸時代が終わるまで、転封もなくこの地を治めました。



藤堂高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名です。 約420年前の慶長13(1608)年8月、高虎は伊予国今治から伊賀・伊勢国へ移り、伊勢津藩の初代藩主となりました。
藤堂高虎は、黒田官兵衛、加藤清正と並び、「築城三名人」の一人と称され、数多くの築城の縄張りを担当しました。層塔式天守を考案し、高石垣、石垣上には多聞櫓を巡らす築城などにその手腕を発揮しました。
(写真:津市 四天王寺所蔵)

藤堂高虎は、「築城の名人」。徳川家康の命により膳所城・丹波亀山城・二条城・江戸城・丹波篠山城など数多くの城を手掛け、日光東照宮などの造営にも携わりました。また、津城 や伊賀上野城なども高虎が改築し、防御に強い城にしました。
弘治2(1556)年、藤堂高虎は、近江国犬上郡藤堂村(滋賀県)に生まれ、元亀元(1570)年、15歳の時、浅井氏に仕え姉川の戦いで初陣し、その後 豊臣秀吉の弟、秀長に仕え各地を転戦、秀吉直属の大名となり、秀吉の死後、徳川家康に従い関ヶ原の戦いでは、東軍につきました。


藤堂高虎は、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは東軍として大いに活躍し、伊予国今治(愛媛県今治市)20万石の大名になりました。徳川家康の信頼の厚い高虎は53才の時、慶長13(1608)年、西(豊臣家)への備えの要となる伊賀国・伊勢国に転封となりました。
外様大名ながら徳川家康の側近として幕閣にも匹敵する扱いを受けた藤堂高虎は、家康の死に際しては枕元で奉仕したというエピソードが残されており、寛永7(1630)年、江戸の藤堂藩邸でその生涯を終えました。

