英虞湾に暮らす海民
安乗埼灯台は、約330年前の延宝9年(1681)に幕府が船の道しるべとして、燈明堂を建てたのが始まりとされます。明治6年(1873)にイギリス人R.H.ブラントンにより、日本初の第四等6面閃光レンズを使った木造の洋式灯台が建てられました。安乗埼灯台は、昭和23年(1948)、現在の位置に四角形鉄筋コンクリート造りで建替えられています。珍しい四角形の灯台として完成しました。海上保安庁が平成10年(1998)に発表した「日本の灯台50選」にも選ばれている美しい白亜の灯台です。
写真:(C)”Visit ISESHIMA” Bureau


安乗岬園地の入り口に資料展示館が設置されています。 明治期に建設された初代の木造の安乗埼灯台のミニチュアがあります。また、この地で撮影された「喜びも悲しみも幾歳月」の映画等も紹介しています。
写真:©三重県観光連盟


安乗埼灯台がある志摩市阿児町安乗に残る安乗の人形芝居は、戦国武将九鬼嘉隆が武功をたて安乗神社にお礼参りをした際、手踊りを許されたのが始まりと伝わります。安乗人形芝居保存会を中心に志摩市立東海中学校郷土芸能クラブ員を加えて上演が続けられています。国の重要無形民俗文化財です。
写真:志摩市




大王埼灯台(だいおうさきとうだい)は、志摩半島の東南端にあり、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように突出した海の難所として知られていた志摩半島の大王崎の突端に建つ中型の灯台です。
大王埼灯台は、早くから建設が望まれ、昭和2年(1927)に点灯が開始されました。灯台は太平洋戦争、伊勢湾台風など幾多の苦難に遭遇してきましたが、昭和53年(1978)に半世紀振りに灯塔の大改修を行い、現在の姿になりました。灯台は国の登録有形文化財に指定されており、その役割や歴史などを知ることができる展示室が併設されています。
写真:(C)”Visit ISESHIMA” Bureau


大王埼灯台は、平成16年(2004)には、波の高さを自動で観測する高性能の最新レーダーが設置されたことにより、東海地方で最後まで残っていた「燈台守」の姿が消えることになりました。しかし、現在でも、海の安全を守る現役の灯台として、また観光スポットとして活躍しています。
大王埼灯台のある波切は、美しい景色が多く、「絵かきの町」としても知られています。断崖にくだける黒潮のしぶきによる壮観な光景、海蝕台地の狭い石畳の坂道、海からの強風を防ぐために高い石垣や防風林で家並を囲まれた光景は、絶好の画材を提供しています。
写真:(C)”Visit ISESHIMA” Bureau


鳥羽・志摩地域は、カキ養殖が盛んなところです。理由は、神宮林から流れる河川から栄養分が大量に供給されること、湾の構造上、供給された栄養分が湾外に流出しにくいことなどがあげられますが、水産学者でカキの浄化法を開発した佐藤忠勇の功績が大きいと言われています。
佐藤忠勇は、志摩の的矢湾で真珠養殖筏に付着していたカキの成長が早いことに注目しました。そこで、昭和3年(1928)、潮間帯でしか養殖できないと考えられてきたカキを海中で養殖する「垂下式カキ養殖法」を確立し、大変な成功を収め、その技術は近隣の浦村や全国に伝播していきました。
カキ写真:(C)”Visit ISESHIMA” Bureau
佐藤忠勇写真:MieMu図録


生でも安心して食べられる「無菌カキ」を作ることを決意した佐藤忠勇は、昭和20年(1945)、紫外線で殺菌した海水を利用した牡蠣の「紫外線滅菌浄化法」を、昭和30年(1955)には「オゾン・紫外線併用殺菌海水装置」の開発に成功し、特許を取得して、生産に繋げました。
鳥羽や志摩には、「的矢かき」「浦村かき」などの全国的に有名なブランドカキがあります。冬のカキのシーズンには、おいしいカキを提供するお店がたくさんあります。カキを食べながら、この地で海とともに生きて来た人々の暮らしに思いを馳せてみてください。
写真:©三重県観光連盟


鳥羽・志摩地域に広がる英虞湾(アゴワン)は、リアス海岸として有名で、さまざまな形の島や半島が美しい海岸線が見られます。伊勢志摩国立公園の一部で、養殖真珠の一大産地でもあります。 雄大な英虞湾をつつむ夕景は、言葉では言い表せない美しさです。横山、ともやま公園から一望できます。
写真:(C)”Visit ISESHIMA” Bureau

