宝刀 村正
大阪・関西万博の関西パビリオンの三重県ブースでは、令和7年(2025)7月1日から23日まで、宝刀「村正」の特別展示がされました。日本刀の「村正」について紹介していきます。
「村正」という名前を歴史や時代劇が好きな人で、聞いたことがない人はいないのではないでしょうか。「村正」とは、室町時代から数代にわたり日本刀を作り続けた刀工と、その作品を呼ぶ名前です。

日本刀「村正」は、その切れ味の鋭さで実戦刀として武士たちに愛されるとともに、刃の美しさから美術品としても高い評価を受けています。また、刀工「村正」は伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工です。

他の名刀に比べて「村正」が圧倒的な知名度を誇る理由には、刀剣としての質の高さだけではなく、いわゆる「妖刀伝説」が寄与しています。中でも、徳川家に関する多くの言い伝えや伝説がありますが、現在、妖刀伝説は否定されています。

有名な刀工名の一つである「村正」は、斬味凄絶無比と名高く、精強で知られる三河武士を中心に、将軍徳川家康や関白豊臣秀次ら天下人を含む戦国時代の武将たちから至上の業物(実戦刀)として愛用されました。

「村正」は、美術品としても、南北朝から室町時代を代表する作品の一つと評されています。また、伊藤博文は、美術品としての村正を愛した人物の一人として知られています。(MieMu図録より)

「村正」の妖刀伝説や徳川家康が村正を忌避したことについては、歴史的な事実ではないと明らかになっています。それは、家康本人も村正を所有し、遺産として息子に譲っているため、家康が村正を大切にしていたと思われます。


村正が奉納された春日神社(桑名宗社)には、徳川家康の孫である千姫が東照宮を勧請しています。このことからも、村正が徳川家から忌避されていたとは考えにくいでしょう。


三重県桑名市の桑名宗社には三重県指定文化財の『太刀 村正』が2振り所蔵されています。各々には「春日大明神」「三崎大明神」との神号が彫られており、天文12年(1543年)に村正自身が桑名神社と中臣神社に奉納を目的として制作されたと伝わります。


三重県桑名市にある春日神社(桑名宗社)所蔵の日本刀「村正」2振りは、第二次世界大戦中、十分な手入れが出来ないと考えた当時の宮司により、その対処法として刀身に漆が塗られました。


他の場所で所蔵されている日本刀「村正」の銘は『村正』の2文字だけが刻まれているのが多い中、桑名市の春日神社(桑名宗社)の太刀村正には『勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作』とあり、細かな住所などが刻まれています。この銘は村正史上、最長とされています。(MieMu図録より)

三重県桑名市にある春日神社(桑名宗社)の宝刀「村正」のうち、「春日大明神」と彫られた1振りを、戦時中に塗られた漆の下にある本来の美しい地刃を明らかにしたいとの思いから、令和元(2019)年に専門の研師に依頼して漆を落とし、美しい地刃がよみがえりました。

三重県桑名市にある春日神社(桑名宗社)では、「眺憩楼(ちょうけいろう) Muramasa Museum」において、社宝である村正の展示をしています。三重県指定文化財のため管理・公開には制限があり、時期によっては社宝村正の精巧な写しを展示する時もあります。
https://www.kuwanasousha.org/muramasa-museum/


三重の文化では、宝刀「村正」とともに春日神社(桑名宗社)の「眺憩楼(ちょうけいろう) Muramasa Museum」のレポート記事を配信しています。
https://www.pref.mie.lg.jp/BUNKA/HP/.htm

