伊勢型紙
令和7年(2025)8月25日から9月25日まで大阪・関西万博の関西パビリオンの三重県ブースで、経済産業大臣指定の伝統的工芸品である伊勢型紙が特別展示しました。伝統的工芸の伊勢型紙について紹介していきます。

伊勢型紙とは、友禅、ゆかた、小紋などの着物の柄や文様を生地に染めるのに用いるもので伝統的工芸品(用具)です。 和紙を加工した紙(型地紙)に彫刻刀で、きものの文様や図柄を丹念に彫り抜いて型紙を作ります。高度な技術と根気が必要な作業から生まれる作品です。


伊勢型紙は着物等の型染めに用いる型紙で、熟練の職人が手彫りの技法で文様・絵柄を彫り抜いたものです。伊勢の地で作られ、型商人によって全国に販売されていたため、伊勢型紙の名(他に「伊勢型」「白子型」等)で呼ばれてきました。


伊勢型紙の特徴は、薄い和紙を柿渋で数枚貼り合わせた彫刻・染色に適した地紙を使用することと、熟錬の職人により手彫りで作られることにあります。


伊勢型紙は、型彫り職人の卓越した技術は素晴らしく、その精緻な文様・デザインには、人の手の無限の可能性を感じさせるものがあります。アート額や照明器具や建築建具、ジュエリーなど、普段は一般の人の目に触れることのない伊勢型紙そのものをプロダクトにする取り組みが生まれています。


伊勢型紙の歴史は古いといわれ、その発祥については諸説あります。江戸時代になると、紀州藩による手厚い保護を受け、伊勢型紙は白子地域と寺家を中心に盛んになっていきます。職人たちの協同による発展に加えて、型売り業者(型商人)が各地に型紙を売り歩き、伊勢型紙は全国に広がっていきました。


明治時代には近代化の波を受けて衣服文化が変化し、さらに太平洋戦争による打撃から型紙業者がほぼいなくなる状況に陥ります。しかし、終戦から復興が進むにつれて再び着物の需要が増え、昭和40年代に伊勢型紙は生産のピークを迎えます。


伊勢型紙は、着物の需要の減少と新しい染色技術の普及によって型紙業者が減ったため、伝統技術を後世に伝えるために技術保存会が設立されました。芸術性のある伊勢型紙の作品は美術工芸品としても評価されてきているだけでなく、海外からも高く評価されています。


伊勢型紙は、昭和30(1955)年に重要無形文化財「伊勢型紙」の技術保持者として6名が認定をうけました。昭和58(1983)年に通商産業大臣(現・経済産業省)が伝統的工芸品の指定に際して「伊勢形紙」として登録されました。


伊勢型紙には、「形紙」と「型紙」の2種類の表記方法が存在します。古くは、江戸時代から明治時代にかけて「形」が用いられましたが、大正から昭和にかけて「形」と「型」の2つの字が併用されるようになり、徐々に「型」に統一しようという動きが出てきています。


鈴鹿市伝統産業会館は、鈴鹿市の伝統産業を紹介する施設です。、伊勢型紙については、型地紙、各技法の型紙、彫刻刀などの道具、江戸時代の型紙や資料、パネルによる製作技法の解説などを展示しており、型紙の彫刻体験も可能です。
http://www.densansuzukacity.com/index.html


鈴鹿市伝統産業会館では、伊勢型紙を製作する時に使用する道具などを展示しながら、伊勢型紙の製作工程を紹介しています。また、現代の伊勢型紙作家の作品の紹介のほか、伊勢型紙の作品などの販売もしています。


伊勢型紙資料館は、白子屈指の型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復した資料館で、寺尾家の建物は型紙関係の商家として、また町家建築の代表例として、鈴鹿市の史跡に指定されています。館内では、型紙資料などが展示されています。
https://www.city.suzuka.lg.jp/shisei/shisetsu/1004346/1010133/1004368.html
いつきのみや歴史体験館


伊勢型紙資料館は、白子屈指の型紙問屋であった寺尾家の住宅を修復して資料館にしています。当時は、今の2倍近くの敷地の大きな邸宅でした。蔵を改装した展示室では、江戸時代の型紙などを展示しています。主屋では伊勢型紙保存協会員の作品が展示されています。


伊勢型紙の歴史は古いといわれ、その発祥については諸説ありますが、その中の一つに鈴鹿市にある子安観音寺の御霊木「不断桜」があります。不断桜の葉の虫に食われた様が、巧妙な自然の模様を生み出していたことから着想を得て伊勢型紙が生まれたという逸話が残っています。


鈴鹿市にある子安観音寺の「不断桜」は、約1200年前、雷火のため焼失した伽藍跡より芽吹いたといういわれがあります。秋から春まで花を咲かせ、1年中花葉が絶えない不思議な桜として有名で、江戸時代の『伊勢参宮名所図絵』にも紹介されています。国の天然記念物にも指定されています。

