第88話 松坂・旧小学校分校の机と腰掛け
児童用机・腰掛け
松坂・旧小学校分校の机と腰掛け 記憶や想い出伝える
昨年、100歳を越える建物が取り壊しとなった。松阪市飯南町向粥見の飯南青少年研修センターだ。1966年に廃校になるまでは飯南町立粥見小相津分校として、その後は保育園や集会所などとして地域に親しまれてきた。木造平屋建て、寄棟造りのさん瓦葺(ぶ)きで南北に細長く、上方に凸形をした曲線的なむくり屋根の玄関を配するその形は、ご高齢の方々が思い浮かべる典型的な小学校の外観と言っても過言ではない。
校舎が造られたのは1900年ごろと考えられている。この年、小学校の義務制が施行され、翌年には粥見尋常小の相津分教室から、独立して粥見第三尋常小となったからだ。校庭に残る国旗掲揚塔を固定する支柱にも「明治三十三年庚子正月」の銘文が残っていた。
今回、紹介する資料は、屋根裏に納められていた児童用の机と腰掛で、建物の取り壊しにあたり、松阪市から寄贈されたものだ。机、腰掛ともに二人用で、教科書などは机の天板を開けて出し入れした。机は小型(写真奥)のものと、大型(写真手前)のものの二種類に大別できるが、腰掛は大型の机と対になるものしか現存していなかった。
この机と腰掛がいつ作られたのかは、はっきりしない。だが、小型のものについては、校舎と時期を同じくして造られた可能性がある。「小学校令及小学校令施行規則実施ニ関スル規程」(明治33年12月28日、三重県令第62号)が示す児童用の机の規格に準拠していることが分かったからだ。規定は「小学校令」という国が定めた法律を元として、校舎や校具(学校備品)などについては、各府県の知事が定めるという規定に基づき、発布された県令(県知事が出した指令書)だ。児童の身長を五段階に分け、表により詳細な設定が行われている。ちなみに、最も規格の大きい5号は、机の幅12寸(約36センチ)、長さ36寸、高さ21.5寸だった。
一方、大型の机とそれとセットになる腰掛については合致する法令がない。小学校令は1941年に「国民学校令」が施行されるまで効力を持つから、大型の机と腰掛については同年以後のものと考えるべきかもしれない。「国民学校令」では「小学校令」のように校具(学校備品)の詳細を各府県知事が定める規定がなく、法律をよりどころとして製作時期を考えるのは困難のようだ。
しかし、これらすべての机と腰掛に共通して存在するものがある。備品ラベルだ。しっかりとのり貼りされた小さな紙には、相津分校の文字や登録番号等のほか、56年の日付があった。この日付が備品登録を行った日なのか、従来からある備品の存在を確認した日なのかは分からない。だが、少なくともこの時期まで、この机と腰掛が機能していたことに間違いはなさそうだ。
さて、寄贈いただいた後、机を拭(ふ)き掃除していた時、机の中から漢字の小テストと竹ベラが出てきた。恐らく最後の机の主の忘れ物だろう。地域の人々が世代を超えて用いてきた机と腰掛け。博物館は、モノを介して記憶や想(おも)い出も次世代へ伝える役割を担っている。
(三重県立博物館 宇河雅之)