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第75話 県指定文化財「三重県行政文書」


県史編さん資料室の保管状況

県史編さん資料室の保管状況

県指定文化財「三重県行政文書」 貴重な歴史資料に

 本シリーズでは度々県史編さんグループが保管している明治期県庁文書や絵図地図類を題材として紹介してきた。これらの資料は、県文化財保護審議会の答申を受け、3月11日付けで「三重県行政文書」として正式に県指定文化財(歴史資料)となり、17日の教育公報で告示された。総点数は1万1643点に上る。内訳は明治期を中心とした県庁所蔵文書が7301点、絵図地図類が4342点だ。
 県庁所蔵文書には、明治初年の度会府の文書や1876(明治9)年の地租改正反対一揆関係資料、勧業博覧会・品評会の出品目録、市制町村制施行に伴う町村分合取調書類などがある。絵図地図類には、国絵図の写しや城郭図、山田奉行所平面図、極めて精密に描かれた長田川(木津川)の河川図、1300余村に及ぶ6000分の1の縮尺で描かれた地籍地図や2万分の1縮尺の縮写地図が1600枚ほどそろっているのも特徴だ。
 都道府県の行政文書がまとまって文化財の指定を受けたのは全国で8番目。京都府、山口県、埼玉県の行政文書は国指定の重要文化財で、この3月には県指定だった群馬県行政文書が重要文化財への答申を受けた。さらに、東京都、長野県、奈良県が行政文書を文化財として指定した。06年以降、行政文書を貴重な歴史資料として評価する動きが目立っている。指定文化財としての行政文書は、各都府県の公文書館の収蔵庫に保管され、展示・閲覧等に利用されている。昨年7月に公布された公文書管理法では、公文書の作成から保管、廃棄に至る適正な管理と歴史的な価値のある公文書の保存と公開の促進を規定している。現在使用されている公文書も、将来の歴史資料の候補いえる。
 さて、今回指定された文書などの保存に至るまでの経緯について紹介したい。明治初期には、旧三重県庁の南西にあった文庫に納められていた。県組織の拡大に伴い県庁舎が拡張されると、1892(明治25)年に文庫が取り壊され、新たな土蔵が建築された。その仕様書は「県庁内土蔵新築一件綴(つづり)」として残っている。
 この土蔵は、戦後も文書課書庫として利用された。1964(昭和39)年、現在の県庁舎が新築された際に、旧県庁舎は博物館明治村に移築復元され、重要文化財となっているが、土蔵は取り壊された。収蔵されていた文書や絵図類は、新庁舎地階の書庫に納められた後、64年発行の「三重県史」編さん時に参考となった資料を納める重要資料書庫が設けられ、また、一部は県立図書館にも移され保管されていた。
 84年、「三重県史」の編さん事業着手とともに重要資料書庫の文書などは県史編さん室に移管された。図書館保管の文書も移され、かつての一括資料の状態に戻った。今回の指定は、これらの資料が対象となったが、他の文書類の中にも重要なものが見られる。
 これらの経緯は、03年に作成された「三重県庁所蔵明治期文書目録」に詳しい。目録は、ホームページでも閲覧できる。指定された「三重県行政文書」は、マイクロフイルムによる撮影と複製本の作成も行っている。なお、今年度から建設に着手する新県立博物館の完成後は、そこに収蔵され、保存と公開ができるようになる。
 

(県史編さんグループ 服部久士)

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