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第71話 鳥居古墳から出土した押出仏とせん;仏


鳥居古墳から出土した銅板押出一光三尊仏

鳥居古墳から出土した銅板押出一光三尊仏

鳥居古墳から出土した押出仏とせん仏 地域の仏教文化を示す

 三重県立博物館が所蔵する資料群の中でもひときわ注目されるものの一つに、鳥居古墳から出土した押出仏(おしだしぶつ)とせん仏がある。
鳥居古墳は津市鳥居町にあり、かつては愛宕山古墳と呼ばれていた。明治期には既に知られていたようで、1893(明治26)年に鉄道敷設で墳丘の一部が破壊された。その後、地元の郷土史研究者による小規模な発掘もあったが、あまり注目されることもなく次第に荒廃していった。
 だが1963(昭和38)年、県立博物館が中心になって発掘調査を行い、土師器(はじき)や須恵器などと共に押出仏とせん仏を発見、広く知られるようになった。
 押出仏とは、半肉彫りにした鋳造原型の上に薄い銅板を当て、打ち出して像を浮き出させたものだ。一方のせん仏は、凹型の原型に粘土を押し当てて像を浮き彫りにしたもので、乾燥後に素焼する。どちらも一つの型から像をたくさん作ることができ、表面を金色に仕上げることが多い。
 鳥居古墳から発掘された押出仏は、長く土中にあったため腐朽しており、周辺の土と共に取り出されて保管されていたが、73年に保存処理が施された。その結果、10点が土と分離され、蝶番(ちょうつがい)などの金具や断片も77点確認された。2002年には押出仏とその破片などとせん仏1点が県有形文化財(考古資料)に指定された。鳥居古墳の石棺と石室の一部は、県立博物館の裏庭に移されている。
 損傷が激しかったため、残念ながら完形の押出仏はないが、種類は多く、ふっくらとした丸顔の如来坐像や二つの如来像が並んで坐(すわ)る周囲に千体仏を表した像など、他に例のない珍しいものも含まれている。
その中で最も注目されるのは一光三尊(いっこうさんぞん)仏で、舟形の光背に三尊と天蓋(てんがい)、化仏を配置する。左下半分が発掘時に失われたが、当初の金色もよく残っている。中尊は唐招提寺や法隆寺献納宝物中の押出仏と同じ形で大きさも同じ。菩薩像は当麻寺奥院や知恩院のものと一致することが指摘されている。つまり、いくつかの型を組み合わせて新たな像を成形したものであることが明らかになってきた。
 また、富本銭の鋳造で知られる奈良県の飛鳥池遺跡から出土した仏像の鋳型をもとに、鳥居古墳出土の押出菩薩(ぼさつ)立像が制作された可能性が高いことも分かってきている。
 せん仏は吉祥天の姿をあらわしているが、上下に割れ、右下半分が無い。左右に広がる天衣や裳裾(もすそ)の様子が唐招提寺の押出吉祥天立像に酷似しており、この点も関連が考えられる。
 これらの押出仏やせん仏は、当初から古墳に納められたものではなく、後世に損傷した状態で入れられたものではないかと考えられており、制作年代は7世紀末〜8世紀と推定される。伝来や当初の安置状況などよく分からない点もあるが、この地域における仏教文化の広がりを示すものとして、考古学や美術史の上でたいへん貴重な資料だ。

(県史編さんグループ 瀧川和也)

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