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第68話 杉葉線香の製造機械類


線香押出機

線香押出機

線香練り機

線香練り機

杉葉線香の製造機械類 東紀州伝統産業の証し

 昨年12月22日付の本紙三重面と中北勢面で、東紀州線香水車調査会によって江戸時代後期から大正時代に尾鷲市矢浜で稼動していた真砂杉葉線香水車工房跡のほぼ全容が解明されたと報じられた。こうした水車工房は「線香車」と呼ばれ、水車で杉の葉をつき、線香の原料となる杉葉粉を製造した。
 林業が盛んな東紀州地域では、江戸時代後期から杉葉粉が生産されていた。明治以降の「三重県統計書」は明治中ごろから杉葉粉の生産高などを記載。1890(明治23)年には北牟婁郡の生産者数6、生産高25万貫、南牟婁郡の生産者数10、生産高33万9704 貫と記している。最盛期の大正時代には30基以上の線香車が稼働していたと言われ、生産された多量の杉葉粉は船便で淡路などの線香生産地へ出荷されたり、地元で線香に加工された。
 今回紹介するのは、杉葉粉から線香を製造する機械類で、紀北町引本浦の線香製造所から県立博物館へ寄贈いただいた。大正後半にこれらの機械を導入、1985年ごろまで使ったという。
 右の写真の線香練り機は、直径143センチの大きな鉄製の鉢状の部分に杉葉粉と熱湯を入れ、ドラム2個が回転しながら原料を練り上げた。左は油圧式の線香押出機で、高さ245センチの機械の中央にある鋳鉄製の円筒部に、よく練った原料を入れ、ピストンで下に強く押し出すと、円筒部の底にはめ込まれた「巣金」と呼ばれる金具の多数の細い穴から、原料がそうめん状になって押し出される。これを竹ベラで切り取り、長さをそろえて乾燥板の上で乾燥させると線香となる。
 杉葉粉同様、線香も江戸後期から生産された。三重県統計書ではまず、北牟婁郡で生産が行われ、南牟婁郡が加わり、1893年の両郡の生産高合計は5275箱で、事業者数は3だった。後期以降は旧桑名・三重・飯南郡や津市などで大量生産されたが、大正後半に再び東紀州地域が生産の中心となった。
 このように、杉葉粉と杉葉線香づくりは江戸時代以来、東紀州の豊かな森林資源を背景として発展した重要な伝統産業だった。しかし、急激な社会情勢の変化の中で水車は次々と姿を消し、杉葉線香づくりも衰微した。
三重県立熊野古道センターは08年11月、幻の産業になりつつある杉葉線香づくりに焦点をあてた企画展「熊野杉葉線香ものがたり――蘇(よみがえ)れふるさと産業」を開催し、今回紹介した線香押出機も出展された。杉葉線香づくりの証しを残したいという古道センターや地元の方の思い、所有者の協力により、練り機・押出機に加えて、線香粉ふるい機、動力用の電動モーターなど大正以降の杉葉線香づくりにかかわる主な機械類一括を寄贈いただき、県立博物館で保存している。
 人の生活や生産様式はたえず変化し続ける。その流れの中で近年、伝統産業や地域の特色ある文化が急激に埋没し、姿を消しつつある。地域のアイデンティティーの証しとも言うべきものを将来にわたって保存活用し、地域の人々や次代を担う子どもたちが地域の魅力に気づき、地域を考えるきっかけとしていくことは、博物館の重要な役割の一つだ。
                       

(三重県立博物館 杉谷政樹)

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