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第55話 三重県写真帖


三重県写真帖。下の写真は大湊造船所

三重県写真帖。下の写真は大湊造船所

三重県写真帖 皇太子行啓に際し製作

 「三重県写真帖」(しゃしんちょう)と題されたこの書籍2冊は、ほぼB4サイズで、横型にして、束ねた糸で右端をとじられている。薄い黒茶色の草花模様で装丁された布製の表紙は、簡素で落ち着いた印象を与えている。
 2分冊の写真集だが、「上・下」や「1・2」といった表記をしていない。そのため、一見すると同じ本が2冊あるようだ。掲載写真は原則1頁に1枚で、ほぼB5サイズ。仕上がりは鮮明で、今では珍しいコロタイプ印刷と考えられ、当時の高度な技術がうかがえる。
この写真帖は、県史編さん専門委員だった大林日出雄氏の旧蔵品で、2004年、多くの資料と共に遺族から県へ寄贈された。
 奥付けから、県が1910(明治43)年11月10日に発行したものと分かる。序文や後書きはなく、出版の目的や意図は書かれていない。ただ、巻頭に皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の肖像が掲げられており、また、4枚目の写真「外宮神苑内海軍奉献ノ錨」の説明文中に「図中中央ニ直立セル松樹ハ 皇太子殿下ノ御手植ナリ」とあることから、どうやら皇太子に関係したものと想定される。
 県庁文書に、この年の東宮(皇太子)行啓に関する簿冊がいくつか保存されている。それによると、11月12日〜16日に県庁をはじめ県立農事試験場、県立女学校、安濃津地方裁判所、伊勢神宮、神宮徴古館、松阪町鈴廼屋遺跡保存会、亀山町、四日市市、伊藤製糸場など県内各地を行啓されている。当時の新聞も大きく報道しており、盛大な歓迎ぶりが分かる。
 写真帖の発行時期が符合することから、皇太子行啓に際して製作されたものとみて、まず間違いない。さらに簿冊を調べてみたところ、行啓から2年後に当たる12年の「東宮行啓紀編纂材料」という簿冊中に、写真帖に関する記述を発見した。
 その記述によると、行啓はわずか5日間という短期間のため、県内各所の文物や風景を写真帖にして御覧いただく目的で調製されたという。
驚くべきはその製作期間。なんと、わずか2週間で印刷・発行されている。写真は既にあったものを使用したと考えても、かなり短期間の仕事だ。印刷者は東京都日本橋区数奇屋町一番地の田山宗堯という人物で、完成度は高い。
 発行部数は「献上の余部は之を供奉の高等官にも贈呈せり」とあるだけで、正確には分からなかった。しかし、製作の期間と仕上がりの高さを考えると、数多く作られたとは思えない。この写真帖は県立図書館も所蔵しておらず、大変貴重な書籍と言える。
 この写真帖の写真は、県ホームページの「明治百景――100年前の三重県」に掲載されている。ぜひ一度、ご覧いただきたい。      

(県史編さんグループ 瀧川和也)

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