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第40話 パレオパラドキシア


パレオパラドキシアの全身骨格(レプリカ)

パレオパラドキシアの全身骨格(レプリカ)

パレオパラドキシアの右脛骨化石(津市白山町産)

パレオパラドキシアの右脛骨化石(津市白山町産)

パレオパラドキシア 謎の絶滅哺乳類

 「パレオパラドキシア」の右脛骨(けいこつ、後足のすねの骨)の一部とされる化石を紹介しよう。“謎の絶滅哺乳(ほにゅう)類”と呼ばれている水陸両生の生物だ。
 長さ22センチのこの化石は、1850万〜1400万年前に堆積(たいせき)した「一志層群」と呼ばれる中新世の地層から発見された。現在の津市白山町の雲出川の露頭で、1997年に出土し、個人から県立博物館へ寄贈された。
津市北部から松阪市にかけて分布している一志層群は、当時、西南日本(広島県から長野県付近にかけて)に広がっていた「古瀬戸内海」と呼ばれる海に堆積した地層の一つだ。パレオパラドキシアのほかにもクジラやイルカ、サメ、貝類などの海生生物の化石が多く見つかっている。化石の詳しい研究から、当時は地球全体が今より暖かく、日本周辺の地域は熱帯−亜熱帯の環境だったと推測されている。
パレオパラドキシアは水陸両生の四足歩行の哺乳類で、このような暖かい海の岸辺にすんでいた。全長2メートルほどで、胴体はカバのように太く、四肢は短く頑丈で、大きな手足を持っている。海藻やアマモ類の海草を食べていたと考えられているが、「パレオ(=古代の)パラドキシア(=奇妙なもの)」という名が示す通り、生態にはまだまだ謎が多い。
パレオパラドキシアは、束柱目(そくちゅうもく)デスモスチルス科というグループに属している。目名の「束柱」とは、臼歯が、象牙質の芯を厚いエナメル質が取り巻くのり巻きのような円柱がいくつも束のように集まって1本の歯を作っていることに由来している。
このような形の臼歯を持つ哺乳類は、束柱目のほかにはみられない。束柱目の化石が発見されているのは、日本、カムチャッカ半島から北米大陸のカリフォルニアにかけての、北太平洋沿岸域の新生代第三紀漸新世後期〜中新世中ごろ(約2800万〜約1300万年前)の浅い海に堆積した地層だけだ。
束柱目はほかにデスモスチルス、コルンワリウス、クロノコテリウム、バンダーホーフィウス、ベヘモトプスという属が知られているが、いずれも既に絶滅している。
では、なぜパレオパラドキシアなどの束柱目は、絶滅してしまったのだろうか。写真の全身骨格標本レプリカ(岡山県津山市産出の化石を元に復元=三重県立博物館所蔵)を見ても分かるように、四肢が体の側方に強く張り出し、腹部を擦るような低い姿勢だ。この姿勢は、通常の大型哺乳類とは大きく異なっている。こういう姿勢や歯などの特殊な形態は、生息環境や食べ物が限られていたことを物語っている。気候の変化によって、生息に適する環境や、特殊な進化をした歯の形態に合った食べ物が減り、束柱目は絶滅へ向かったと考えられている。
パレオパラドキシアは岐阜県土岐市、埼玉県秩父市、岡山県津山市、福島県伊達市など日本の多くの地域から全身骨格や歯などの化石が産出し、その数は世界的に見ても多いことから、日本を代表する化石哺乳類といえよう。一志層群から産するパレオパラドキシアの化石は、束柱目の生息域の分布の南限を推定させるもので、私たちに当時の古環境を考えさせてくれる。
                       

(三重県立博物館 小竹 一之)

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