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第15話 県立博物館所蔵のツキノワグマ


ツキノワグマの標本(県立博物館所蔵)

ツキノワグマの標本(県立博物館所蔵)

県立博物館所蔵のツキノワグマ 60年前、久居で捕獲か

 写真は県立博物館に保管されているツキノワグマの標本で、1950(昭和25)年に久居で捕獲されたといわれるものである。ツキノワグマ自体はそれほど珍しくはないが、都市近郊の、しかも集落にごく近いところで捕獲されたことはたいへんな驚きである。以前に久居に在住された読者から寄せられた貴重な情報をもとに調べてみた。
 当時の新聞記事によれば、「町へ浮かれ出た月ノ輪熊 三重県久居町で見事射止められる」の見出しで、記事とともにハンターの木村さんと射止められたクマが並んだ写真が残っている。
 記事の概要は「50年1月6日、久居町相川の岡添勇次さんが近くの畑で農作業中、突然、横の竹藪(たけやぶ)からクマが跳びかかってきた。驚いて逃げ帰って助けを求め、同町野村の木村長七さんが猟銃で射止めた。目方15貫、体長4尺、背丈1尺5寸の雄の月ノ輪熊で、野生獣とわかった」とある。クマは近くの学校へ運ばれ、三重県技師の平野四郎さんが剥製(はくせい)にした。クマは、その後、53年に新設された県立博物館の収蔵品になったという。
 51年11月、昭和天皇の三重県巡幸の記録「御巡幸の記」によれば、4日目は志摩観光ホテルでの御滞在日で、ホテルの一室で県内の生物についての御進講があった。このとき、先述の平野さんが県内産哺乳(ほにゅう)類の生態などを説明した記録が残っている。御親族によれば、彼は「自分が作った剥製の前でたいへん緊張しながら天皇に説明をした」とのことである。
 写真のクマは体長1メートル16センチ、肩までの高さ62センチの雄で、記事のクマとほぼ同じ大きさである。89年発行の「三重県立博物館資料目録 自然科学bR」によれば館蔵のツキノワグマ標本は9体あるが、そのうち8体は尾鷲営林署からもたらされた頭骨で、残りの1体が剥製だが、これには「登録番号」と「本剥製」という記述以外に捕獲地や受入日の記載はない。館では、「このクマを受け入れた経緯等の記録は見当たらないが、古くからある展示標本で、他に剥製はないことから、これが久居で捕獲されたクマの可能性が高い」という。
 岡添さんは御健在で、現在95歳である。クマが出没したときのことをおうかがいしたところ「畑仕事をしていたら、すぐ脇の竹藪から突然黒い獣が跳びついてきた。当時は近くで牛を飼っている農家が数軒あり、最初は逃げ出した子牛かと思ったが、よく見るとクマだったのでたいへん驚いた。ツメで引っかかれて頭と背中に数針のけがをした。大勢で逃げ回るクマを追いかけ、線路脇の側溝で身動きできなくなったところを野村の木村さんが自慢の猟銃で撃った。クマは剥製にされ、県立博物館で展示された」と当時を振り返って語られた。また、「鉄砲の名人長七さんをよく知っている」という方や、「クマの肉をごちそうになった」という近所のおばあさんのお話を聞かせていただいた。クマの生態に詳しい研究者からも種々教わり、事の顛末(てんまつ)を補完することができた。
 クマが出没した付近は、今、住宅団地の一角となっている。自然環境が大きく変化し、野生の動物がすめる山林はどんどん縮小されているが、約60年前、唯一、久居でツキノワグマが捕獲されたことを記憶にとどめたい。  

(県史編さんグループ 田中喜久雄)

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