トップページ  > 紙上博物館 > 鉱物類産地図と鉱物解説

第13話 鉱物類産地図と鉱物解説


「鉱物類産地図」(度会郡柳村の石灰岩産地略図)

「鉱物類産地図」(度会郡柳村の石灰岩産地略図)

鉱物類産地図と鉱物解説 130年前の算出状況伝え

 今日紹介する史料は、県庁(県史編さんグループ)が所蔵する『鉱物類産地図』『鉱物解説』の2点である。『鉱物解説』が作成された時期は、その凡例の日付から1881(明治14)年2月である。作成者は三重県勧業課であった。紹介された鉱物は、銀・銅から瓦土・陶土・壁土に到るまで多彩で、これを「イロハ」順で紹介している。見出しの鉱物名を数えると57種となった。それぞれの鉱物には、産出地ごとに数行の解説が記されている。その内容は、県勧業課巡回員が「村翁野夫」(そんおうやふ)から聴取したものを筆記したものであると凡例にある。
 一方、『鉱物類産地図』は、前史料に対応した構成になっており、同時期に作成されたと考えられる。鉱物産出地周辺の当時の景観を、緑や茶色を基調として豊かに描いている。県にはこの『鉱物類産地図』が2点保管されている。それぞれを見比べると、構図に微妙な相違があり、いずれか1点は後に筆写されたものではないかと考えられる。
 これらの史料は、第2回内国勧業博覧会(81年3月〜6月)に際して作られたものである。県勧業課と地域機関の郡役所との間で交わされた公文書を綴(つづ)った『郡役所往復綴』(県庁文書)には、掛員が郡内巡回中取調べた物品の産地名や鉱物、産地全景をひな型に従い作成し、なるべく速やかに送るよう郡役所へ通達している文書があり、『鉱物解説』の凡例の記述と符合する。
 さて、このひな型には、松木・杉木・雑木・民家(または坑夫住居)・遠山・坑道の入り口・土砂や石類・白石(または石灰石)・方位の描き方が例示してある。
これから『鉱物類産地図』は、このひな型にかなり従って描かれていることが分かった。このひな型を手掛かりに挿図の石灰石(いしばいいし)の産出地、度会郡柳村(現度会町)を見てみると、山の中に民家か作業小屋が立ち並び、中央奥の道際の山肌に石灰岩の鉱脈が東面して露出している。近くに小川が北から東に流れている。周囲の木は杉が多いことまで分かる。鉱脈の手前は作業小屋であろう。石灰石を焼く(石灰を製造する)竈(かま)が確認できる。
 次に『鉱物解説』で「イシバイイシ」の柳村の個所を確認すると、鉱石の質は軟らかくもろい。ねずみ色で白斑をなしている。1825(文政8)年に発見され、31(天保2)年1月から石灰焼きが始まっているという。そして、明治期には年間産出高は5千俵(約94トン)にのぼり、代価は1千円だという。
 2点の史料によって、約130年前の県内の鉱物産出状況や、その産出地周辺の景観が伝わってくる貴重な史料である。近代になると鉱物には高い関心が寄せられ、多く採掘されていた。「三重県と鉱物」といっても、セメントの原料となっている石灰石や陶土、丹生(多気町)の水銀、熊野の銅のほかはあまり思い付かなくなっているが、こうした先人が残した歴史的遺産を通して忘れられた地域の特性を再発見できるのではないだろうか。多くの方に利用されることを期待したい。           

(県史編さんグループ 石原佳樹)

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る