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第12話 オオサンショウウオ


県立博物館で飼育中のオオサンショウウオ

県立博物館で飼育中のオオサンショウウオ

オオサンショウウオ 生息する環境守りたい

 三重県立博物館では、一匹のオオサンショウウオを飼育している。博物館が有する動物資料の中で、唯一の生体資料である。このオオサンショウウオが博物館にやってきて今年で16年目となる。1992(平成4)年の夏に名張市美旗の小波田(おばた)川にいるところを発見されたが、その場所は水も少なく、決してすみやすい環境ではなかった。このため保護し、文化庁の許可を得て当館で飼育することとなった。
 このオオサンショウウオは「さんちゃん」と名付けられ、子どもたちの人気者となっている。博物館外の飼育舎では、毎月第2土曜日、月に1度の「さんちゃん」の食事の様子を公開している。
オオサンショウウオは獲物を水ごと吸い込み、丸のみにする。日中、ほとんど動かないだけに、すばやく獲物に反応する姿は、見学者をたいへん驚かせている。
 オオサンショウウオは、日本固有種で岐阜県より西の本州と四国、九州の一部の河川に生息している。現世種としては世界最大の両生類である。その形態が約3000万年前からほとんど変化していないことから「生きている化石」と呼ばれ、1952(昭和27)年に国の特別天然記念物に指定された。
 三重とオオサンショウウオの関係は、歴史的にも興味深い。オオサンショウウオの存在が世界に知らされたのは、1830(文政13)年のことである。このときに紹介された個体が三重県産と考えられている。
 江戸時代末期に長崎のオランダ商館医として来日したシーボルトは、商館長の江戸参府に随行する途中、現在の三重県亀山市関町坂下で1匹のオオサンショウウオを得ている。産地の明確な場所は明らかでないが、門弟の湊長安が坂下で集めた沿道の動植物資料の中に含まれていた。1829年、長崎出島から帰国するシーボルトは、オス、メス計2匹を生きたまま持ち帰った。しかし、メスは途中でオスに食べられてしまい、オス一匹が無事オランダに到着した。
 ヨーロッパでは、1700年にスイスでオオサンショウウオの化石が発見されていたが、この両生類最大の生き物は、すでに絶滅したと考えられていた。このため、日本のオオサンショウウオの存在は大きな反響を呼んだ。
 この個体は、その後51年間飼育され、体長は104センチに成長した。シーボルトの飼育記録から、寿命は51年プラス20年から30年とされている。現在もオランダのライデン国立自然史博物館に標本が保管されている。
 オオサンショウウオの三重県内での主な生息地は、伊賀市と名張市内の河川、津市美杉町の名張川上流部である。伊勢湾に注ぐ河川では、記録こそあるものの、いずれも1、2例にすぎず明確な生息地とは言い難い。近年、河川改修などで巣穴となる河岸の横穴や岩石の隙間(すきま)などが消失し、生息に適した環境は縮小傾向にある。
 オオサンショウウオの存在は、良好な河川環境の指標とも言え、この現世する最大の両生類が生息する環境を、いつまでも守っていきたいものである。

(三重県立博物館 田村 香里)

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