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第1話 「第9回関西府県連合共進会全景」図


「第9回関西府県連合共進会全景」図

「第9回関西府県連合共進会全景」図

「第9回関西府県連合共進会全景」図 2カ月で78万人来場

 県史編さんグループの所蔵資料に「第9回関西府県連合共進会全景」図がある。図は縦46センチ、横61センチの大きさであり、会場全体を俯瞰(ふかん)して、建物や公園が描かれ、全体が青色で印刷されている。この図は、連合共進会事務所の認可を受けて作成したものであり、著作・発行は津市立町の瀬古治斎とあり、1907(明治40)年3月27日に印刷され、4月5日発行、津市西町(現津市中央)の小木曽六兵衛による発売と記されている。瀬古治斎と小木曽六兵衛については、どのような人物であったか、現在のところ、詳しいことはわからない。
 さて、この全景図を見てみると、右下にかすかに津停車場(現津駅)が描かれ、中央には、コの字形の工業館と農業館のある本館建物が建っている。本館の正門を抜けて広場を通り過ぎると、その先の石段を上がった所が参考館である。この場所に現在は県立博物館が建っている。石段は現在も博物館への上り口として残されている。上部には経ヶ峰をはじめとする山々が描かれ、右端上部には一身田の専修寺もみられる。参考館の背後の偕楽公園には、木々に囲まれて八幡神社や貴賓館、ビアホールや喫茶店、各事業所の出した休憩所が点在し、大阪毎日新聞休憩所の名もみえる。また、手前の鉄道線路に沿うようにして、各府県の売店が建ち並んでいる。
 ところで、県立博物館にも別の「第9回関西府県連合共進会全景」図が所蔵されている。図の大きさは少し小さく、色彩はやや淡い。遠景の山々がなく、代わりに右上には、第2会場であった津市馬場屋敷(現津市船頭町)の池に面した教育館が描かれているなどの違いがある。著者は田中与一とあり、中央部の構図はよく似ており、4月10日印刷、4月15日発行であり、先の全景図を参考にして描いたものと思われる。
 さて、この第9回関西府県連合共進会は、4月1日から5月30日まで2か月間の開催であった。西日本の2府20県が参加してさまざまな物品を展示し、審査や表彰が行われている。翌年に三重県が出した「第九回関西府県連合共進会事務報告書」では、77万9566人の来館者があったことが入館者統計表として記載されている。当時の三重県の人口が106万人余であり、いかに盛大なものであったかが想像できる。
 この共進会に合わせて三重県協賛会により2種類の「三重県案内」が刊行されたが、そのうちの甲種といわれる4000部弱発行された「三重県案内」には、県内の地勢や産業、各郡市の概況が写真付きで200ページほどにまとめられ、巻末には、90ページほどの県内各地の業者や店舗の広告が掲載されている。こうした会場の全景図や「三重県案内」は百年前の三重県の状況を知る重要な資料であるが、それにしても共進会への入場者の多さには、当時の三重県の意気込みが感じられて興味深い。

(県史編さんグループ 服部久士)

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