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四日市万古陶器製造場(四日市市末永)※


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 明治33年(1900)1月に川村又助が設立した合資会社川村組製陶場。万古焼は、四日市周辺の伝統産業で、江戸時代中頃に桑名の沼波弄山が用いた「万古不易」「万古」の銘印に由来する。沼波弄山の没後、万古焼は一時衰えたが、幕末近くになって桑名の森有節が万古焼発祥の地、小向村(現朝日町)に窯を築き再興を図った。のち、末永村(現四日市市)の山中忠左衛門や元伊勢長島藩士の堀友直などの「刻苦発明」によって四日市北部に製陶業者が輩出し、販路拡張の努力も必要であった。この販路拡張に活躍したのが川村又助で、明治8年万古陶器問屋を開業、18年万古陶器商工組合を組織し組合長に就任し、販路を国内だけでなく、四日市港を有効に利用して海外にまで拡張した。万古焼の模範工場でもあった川村組製陶場の製品には、飲食器以外に装飾器・玩具・家具類なども多く、主としてアメリカに輸出された(『四日市萬古焼史』)ようである。左下の写真は、そのうちの一つで、「川村又助首振人形」と表題が付けられている。

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