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地方自治への熱い期待−箕曲村の分村と住民投票


昭和28年9月時点の『三重県市町村区画図』(部分)

昭和28年9月時点の『三重県市町村区画図』(部分)


 三重県でも「平成の大合併」と言われる市町村合併の協議が進み、既に昨年12月1日付けで員弁郡内の4町が合併して「いなべ市」が誕生した。
 先日、別の件で第2次世界大戦後の『伊勢新聞』のマイクロフィルムを調べていたところ、「分村問題大詰めへ」「予断許さぬ箕曲地区分村選挙」「分村で不在地主」など、「分村」という字句がいくつか目に入った。町村合併とは逆であるが、戦後まもなくのことで、いささか驚いた。それは名張町から箕曲村の分村で、昭和24(1949)年8月1日付けで実施されたものである。昭和22年5月3日の地方自治法施行後全国2番目の分村であったらしい。もちろん、三重県では最初で、戦後では分離して他の市町村へ合併した例はあるが、独立自治体として分村したのは唯一である。
 箕曲村は、現在の名張市大字夏見・中村・瀬古口・青蓮寺・中知山の地域である。明治22(1889)年4月1日の町村制施行によって誕生したが、第2次世界大戦中の昭和17年5月5日に戦時統制のもとで名張町に組み込まれた。ただ、この戦時中の合併はかなり強制的であったようで、終戦後、新しい地方自治法が施行されると、早速旧箕曲村の人たちの間から分村運動が起こった。『名張市史』によると、農地問題もあったらしいが、「戦争中非民主的な合併をした……その地勢・生活形態が甚だしく異なる」ということから「名張町区域変更請求書」が名張町選挙管理委員会に昭和24年3月29日に提出された。名張町長や町議会議員などは必死に分村阻止に努めたが、4月24日に分村をめぐって箕曲地区で住民投票が行われた。
 最近では、町村合併に関して住民投票の実施が議論され、現に名張市でも住民投票がなされた。しかし、戦後まもないこの時期の住民投票は珍しく、県内初めてであった。昭和34年発行の『三重県町村合併誌』は、「昭和の大合併」と称される昭和30年前後の市町村合併の状況をまとめたものであるが、松阪市合併の射和村、上野市編入の古山村、投票に基づき鈴鹿市と鈴峰村に分割編入された椿村、熊野市合併の神志山村、愛知県弥富町との合併を否決した木曽岬村での住民投票が記述されているだけである。これから考えても、昭和24年の箕曲村の住民投票は画期的で、戦後の新しい時代の中で住民の地方自治に対する熱い期待が感じられる。当時の新聞記事によると、投票日前日まで「火を吐く言論戦が展開」され、「当日は青年団員が先祖の墓前にぬかづいたり、古老が神社に涙とともに分村を祈願するなどの風景」が見られたという。
 そして、住民投票の結果、分村賛成1087票・反対317票と圧倒的な差で分村と決定され、2度目の箕曲村が誕生した。しかし、それも束の間、昭和28年10月1日施行の町村合併促進法によって、再度名張町や周辺の村々と合併し名張市が成立した。昭和29年3月31日のことで、2度目の箕曲村も3年8か月で地方自治体としては姿を消したのである。
 現在進んでいる「平成の合併」の中で、地方自治体としては名を消すところも多いが、各市町村にはそれぞれ様々な歴史がある。名と共にそれらが消えてしまわないように、公文書をはじめ歴史的な資料の保存にも力を入れて欲しいと願う。

(県史編さんグループ 吉村利男)

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