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プランゲ文庫に見る検閲−「伊勢暴動はなぜ起こったか」公表禁止


「Suppress」や「Delete」の印が押された『故郷』第1巻第7号(9月号)の表紙(メリーランド大学カレッジパーク校図書館及び国立国会図書館作成フィルム)

「Suppress」や「Delete」の印が押された『故郷』第1巻第7号(9月号)の表紙(メリーランド大学カレッジパーク校図書館及び国立国会図書館作成フィルム)


 今年は戦後60年にあたり、新聞紙上でも戦争に関する記事が数多く取り上げられた。戦後の日本は、連合国最高司令官総司令部(通称GHQ)のもとで占領政策が実施された。1945(昭和20)年9月「言論および新聞の自由に関する覚書」や「プレスコード(日本新聞紙法)」が出されて以降、49年10月までの約4年間、民間検閲支隊(CCD)による雑誌・新聞・パンフレット・地図・報道写真等の検閲が行われていた。民間検閲支隊は、GHQ幕僚部民間諜報局(CIS)、のちに改組された参謀第二部民間諜報課に所属していた。この検閲については、近年新たに史料の保存整備がなされたプランゲ文庫によってその全貌が明らかになりつつある。
プランゲとは、参謀第二部に勤務していたゴードン・W・プランゲ博士(メリーランド大学教授)である。49年に検閲が終了した後、検閲資料をアメリカへ搬送し、メリーランド大学カレッジパーク校図書館に保管したのである。やがて、彼の名を取ってプランゲ文庫と名付けられた。
1992(平成4)年からメリーランド大学図書館と日本の国立国会図書館によってマイクロ撮影が開始された。雑誌は一枚に数十コマが撮影されたフィッシュフィルムで6万枚余、新聞はリールフィルム3800巻余に及び、98年にようやく撮影作業が完了し、日本国内でも広く閲覧が可能になった。
ここで、プランゲ文庫に見る戦後三重の雑誌検閲について紹介したい。三重県関係の雑誌類は、93種類のタイトルの雑誌類が216枚のフィッシュに収められている。現在、三重県立図書館の地域資料コーナーでプランゲ文庫戦後雑誌コレクションとしてフィッシュを閲覧することができる。また、県立図書館のホームページには、その目録が掲載されている。雑誌の種類は、俳句集、詩・短歌集、総合文芸雑誌だけでなく、紡績・繊維工場や教職員、運輸・通信関係の労働組合文化部や地域の文化会、青年団が発行したサークル会誌から、青年師範学校、専門学校、工業高校、小学校のPTA会誌まで含まれている。中には、県史編さん室でも未収集の雑誌類もあり、また、当時の新しい息吹が彷彿した文化活動が感じられる。
雑誌類の多くは、出版前のゲラ刷りであるが、事細かくチェックが入れられたり、Suppress(公表禁止)、やDelete(一部削除)、Hold(保留)の処分を受けたもの、検閲のために英文に訳されたものや英文の検閲結果の内容を記したもの、書き換え後の校正された最終ゲラや三重県を管轄した大阪民間検閲局宛の封筒や文書が含まれていたり、当時の検閲の状況をうかがい知ることができる。特に戦争や軍国主義を擁護したり、占領政策を批判した部分は厳しく検閲を受けたと言われている。
1947年『故郷』第1巻第7号(9月号)では、加藤政次郎の「伊勢暴動はなぜ起きたか」が公表禁止とされている。ただ、この「伊勢暴動」とは1876(明治9)年の地租改正反対一揆ではなく、1796(寛政8)年に起こった「寛政の一揆」を示している。9月号では他の作品にも一部削除の処分を受けた部分がある。県史編さん室には『故郷』第1巻のコピーがあるが、第7号(9月号)は存在せず、10月号として第7・8号が出版されている。ただし、その内容は検閲を受けた9月号と重複する部分が多い。このほか、『故郷』では第1巻第1号で田村泰次郎の「美しい眼」が一部削除の検閲を受けており、津市内で刊行していた『故郷』の内容には相当強い注意を払っていたと思われる。
検閲内容の詳細な分析は、今後の研究をまたなければならないが、プランゲ文庫は、占領期の三重の歴史や文化を知ることのできる貴重な資料である。

(県史編さんグループ 服部久士)

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