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大半の寺院が梵鐘供出−銘文 今に戦時伝え


四日市の石原産業製錬工場に集められた大量の梵鐘(写真:「目でみる郷土史 四日市のあゆみ」より)

四日市の石原産業製錬工場に集められた大量の梵鐘(写真:「目でみる郷土史 四日市のあゆみ」より)


 明後日8月15日は終戦記念日。第二次大戦の敗戦から丸58年になるが、先日、福井県にあるお寺の住職夫婦が戦時中に供出された梵鐘のことで県史編さん室に訪ねて来られた。それは、戦後まもなく先代住職が梵鐘は三重県内にあるという手紙を受け取ったが、戦後の混乱期で取りに来られず、その手紙も紛失しまったので、何か手掛りはないかということであった。しかし、当方には三重県内の梵鐘調査資料しかなく、結局は役に立てなかった。
 そもそも、戦時下最も必要な金属類は、昭和16(1941)年8月に勅令が出され、強制回収が始まった。当初は工場などが対象であったが、その後、寺院等も指定施設となり、中でも梵鐘は回収範囲の筆頭にあげられた。
 それに対して、大半の寺院では「国の要請に依り供出止むなき」と渋々応じたようであるが、歴史的価値の高い梵鐘については「金属類特別回収一時延期願」が提出された。その数は三重県全体で300程度。当時の寺院は総数約2,260。すべての寺院に梵鐘があったわけではないものの、延期を願い出た寺院は限られていた。この延期願いについて、県庁では専門の委員に依頼して昭和17年度下半期に個々の梵鐘を調査し、延期か供出かの決定を下した。「一時延期ヲナスベキモノ」は、三重県では寛永期(1624〜44)以前の銘のある梵鐘か、津辻越後家ら名家の作であることなどが条件であった。
 実は、このときの調査記録『三重県梵鐘調査書』が20年程前に古書店で発見され、県内の研究者が購入された。そして、現在は「県や市町村史編さんのために」と県史編さん室に寄贈いただいており、これによって延期願いのあった梵鐘の詳細がわかる。ちなみに、現安濃町の寺院では6件の延期願いが出され、そのうち1件は天正8(1580)年の銘が見られ、もう1件は鐘楼の位置が戦時下の「警鐘に適した地」であるという理由で供出を免れたが、残りの4件の梵鐘は供出の対象となった。
 なお、この4件の梵鐘以外に、当初から「供出止むなき」としたものがあったが、いくつの梵鐘が供出されたのかは当時の資料がなく、わからない。ただ、昭和62(1987)年発行の『三重の梵鐘 津・安芸郡編』が大いに参考になる。この『三重の梵鐘』は、県金属試験場に勤務されていた故福本桂太良氏が県内の現存する梵鐘一点一点を調査された貴重な資料で、安濃町では合計22件の梵鐘を調べられている。その22件から前述の供出を免れた2件と無銘の1件を除く19件は、すべて戦後の鋳造であって、大半は供出して戻って来なかったか、たとえ戻って来ても穴があけられていた場合が多く、再鋳する必要があったものと思われる。また、この19件の梵鐘のうち7件には銘文に「供出」の文字が刻まれており、今に戦時中の歴史を伝えている。

(県史編さんグループ 吉村利男)

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