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日露戦後人出空前−関西府県共進会で電飾


伊勢新聞に掲載された版画「第一会場の夜景」

伊勢新聞に掲載された版画「第一会場の夜景」

第9回関西府県連合共進会本館のイルミネーション

第9回関西府県連合共進会本館のイルミネーション


 三重県立博物館は今年度開館50周年を迎える。それを記念して今月17日から3月21日までの間、「灯り」をテーマにした企画展が開催されているが、その一環として博物館建物をイルミネーションで飾っている。これは、現在の博物館が建つ階楽公園で明治40年(1907)に第9回関西府県連合共進会が開催され、そのときにイルミネーションが点灯されたことにちなんでいる。
 明治時代には、殖産興業政策のもとで博覧会や共進会が盛んに行われた。全国規模のものはもちろんのこと、県内や近府県連合単位でもしばしば開催されており、この関西府県連合共進会もその一つである。「関西府県」の範囲は現在と異なり、第9回の場合は北陸・中国・四国地方からも参加があって、合計2府20県に達している。ちなみに、第1回は明治16年に大阪府で1府16県が参加して開催され、三重県は明治35年に香川県高松市で開かれた第8回共進会から参加している。翌年の打合せで第9回開催地に三重県が確定するが、日露戦争のためにいったん「無期延期」となり、戦争終結後に再開が協議され、準備が整えられていった。
 こうした経緯ののち、明治40年4月1日から5月30日までの2ヵ月間にわたって開催された第9回関西府県連合共進会は、まさに空前のにぎわいを見せる。入場者数779,566人という数字が残されているが、これは前回高松市で記録したこれまでの最高入場者数304,065人の2倍以上である。当時、三重県の人口は100万人弱(『明治40年三重県統計書』)であり、この入場者数がいかに大変な数字であるかがわかる。当時の新聞によれば、多いときには1日の入場者が「五万七千」もあったというが、この信じられないような人数では、おそらく展示館を見物するどころではなかったのではないだろうか。
 会場には農・工産物を陳列した本館や特許館・参考館、時計塔など多くの建物が並び、夜は「七千余個」の電球を使ったイルミネーションが点灯し、夜間の入場者も多かった。
 三重県では、明治19年11月の天長節夜宴の際に県庁舎で電灯点灯実演がなされ、中部地方では最も早く電灯が灯った所として関係者にはよく知られている。しかし、このような大掛かりな電飾は、明治40年頃が初めてらしく、『第九回関西府県連合共進会事務報告書』には、「煌々トシテ人目ヲ奪」ったとあり、また、当時の新聞には「此眠れる共進会をして、空中の楼閣たらしめつつ美観を呈し候」と記され、「本館正面のもの一番派手」であったようである。
 会場以外でも、開催地の津市では祝賀のために大門町に「高さ十五間の三脚門」が建てられ、「大門塔」と名付けられたこの建物にも「七百個」の電球を用いたイルミネーションが施され、点灯していた。また、岩田橋と塔世橋にも装飾電灯が設置されたようで、共進会終了前には、取り壊さずに残してほしいとの投書も見られるなど、共進会期間中の津市内は、かなりきらびやかな夜の風情が楽しめたことがうかがえる。
 今、夜間はまだまだ冷え込みが厳しいが、当時に思いをはせつつ、博物館のイルミネーションと「灯り」の展示を見られてはと思う。

(県史編さんグループ 瀧川和也)

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