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時代に乗りインフラ整備−四郷地区に商工会設立


三重県写真帖』(1910年発行)に掲載された四郷地域の工業地帯、手前が伊藤製糸場

三重県写真帖』(1910年発行)に掲載された四郷地域の工業地帯、手前が伊藤製糸場


 四日市市の南西部に位置する四郷(よごう)地区は、三重県の製糸業の先駆者・伊藤小左衛門や三重紡績会社を設立した伊藤伝七など明治期の起業家を輩出した土地である。近代産業発祥地の一つであり、現在も当時の建物が一部存在し、風致地区に指定されている。
 この四郷地区に、日露戦争後の1906(明治39)年に伊藤小左衛門や伊藤伝七の子孫や地元の人たちによって「四郷商工会」が設立された。現在も「○○町商工会」など、よく耳にするが、それは1960(昭和35)年の商工会法に基づき法人として設置されたものであって、近代期の商工会についてはほとんど実態がわかっていない。1890年の商業会議所条例によって、93年に津・四日市・桑名の商業会議所が設置されたが、商工会は規定もなく、当時県内にどの程度あったのかを知る資料も見られない。
 そういった意味で、この四郷商工会の例は大いに参考になる。『要件録』という四郷商工会の日誌をもとに、設立の経過や活動などの一端を紹介してみよう。
 四郷商工会(以下「商工会」という)は、1906年7月26日、伊藤伝平すなわち伝七の弟など、地域の有志4人の発起により立ち上げられ、同年8月25日の総会により正式に発足した。総会では、商工会の6か条の規約が決定され、それに基づいて、その後の活動が展開される。規約の第2条目では、商工会の成立の目的を「商工業者ノ輿論(よろん)ヲ定メ、之ガ実行ヲ謀リ、以テ本村ノ福祉ヲ増進スル」とあり、四郷地区の商工業を発展させ福祉を増進しようというものであった。
 さて、この商工会は幹事会や総会を繰り返しながら活動を進めたが、最初に取り組んだのは水沢(すいざわ)道路の県道編入運動であった。水沢道路とは1896年に開通した四郷地区の八王子と鈴鹿山麓の水沢とを結ぶ幹線道路で、この運動によって四郷地区が物流の集散地となることを願ったわけである。そのため、県会議員への陳情、県庁職員との話し合い、請願書の提出などを行い、ようやくにして190611月17日に県道編入がかなった。
 また、県道編入の2年後の1908年1月には、四郷地区の室山に電信局設置運動が展開された。この運動は、要約すると「輸出取引額が多くなっているが、電話回線の数が少なく、四日市郵便局との接続等に時間がかかり、そのため商機を逸する」というもので、商工会としても大きな課題であった。この取組は1年がかりの運動となり、結局電信局建設実費額の3分の1を地元が負担するということで実現した。
 さらに、並行して軽便鉄道敷設の運動にも取り組んだ。いわゆる三重軌道(のち三重鉄道と改称)で、1912(大正元)年に四日市・四郷間が開通し、16年には八王子まで延長された。商工会の具体的な関わり方は定かでないが、敷設推進のための協議が何回も商工会で行われている。
 その後も商工会の活動は継続されるが、大きな運動はなく、1918年頃に商工会はいったん中断し、1921年に再び結成された。新メンバーで会則等の見直しが行われ、幹事会や総会が毎年開かれたものの、設立当初のような大がかりな運動は展開されず、1939年頃には戦時体制の影響か活動もなくなり、『要件録』の記事もここで途切れる。
 四郷地区の商工会の設立は、先に組織されていた四日市商業会議所との関連も考えられるが、いずれにしても地域がまとまり、時代の潮流に乗って通信交通網などの基盤整備を行い、地域の発展をめざしたのであった。

(県史編さんグループ 藤谷 彰)

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