百年前の尾鷲林業―樹皮基準に立木価格・伐採賃金の算出
尾鷲地方の山林(1910年発行『三重県写真帖』より)
現在、『三重県史』民俗編を編さん中であるが、民俗編はこれまでの各種民俗調査の成果や資料を活用し、県全体にわたって地域の特徴的な民俗を表現することを基本的方針としている。そのため、県内の民俗事象について記された資料を精力的に収集している。しかし、これまで調査・研究が十分に及んでいない分野もあり、これらをどのような資料に基づいて描いていくのか課題も多い。
その分野の一つが「山村のくらし(仮題)」であり、林業関係資料を探している中で、立木価格の算出について「百年前には、こんな方法もあったのか」と思った資料に出会った。今回は、それを紹介してみよう。
立木の売買には、山林丸ごとという場合が多くあるが、山林には生長がまちまちの樹木が茂っている。立木すべての価値を素早く正確に算定する技術が必要なわけで、今では通常、山林に繁茂する立木の材積を「石」や立方メートルなどで表すが、明治時代の尾鷲地方では、杉や檜などの樹皮の面積をもとに算出されたようである。
1905(明治38)年刊行の『紀州尾鷲地方森林施業法』に、この算出方法が詳細に記されている。その基準の単位は「間」で、一辺6尺四方の樹皮の面積を1間という。「間」を「けん」と読んだのか、「ま」と読んだのかわからない。しかし、『単位の歴史辞典』には、「坪(6尺四方)の古称を『間(ま)』という」とあり、おそらく「ま」と言ったのではないかと思われる。ただ、尾鷲地方の1間は、一辺を5尺7寸、もう一辺を約5尺3寸とする独自の基準があった。これは、目通り周り1尺2寸5分、梢の周り4寸、高さ4丈(長さ5尺7寸の樹皮が6枚半とれる)の樹木から得られる樹皮を1間とするという法則があり、それによって導き出される数値であった。
実際の立木価格の算出方法は、山林の中から測定標準木を一本選び出し、この木から樹皮が何間得られるかを割り出し、あらかじめ正確に数えた木の本数を乗じると全山の総間数が得られた。それに1間何円という相場を掛けて価格を出すというものであった。つまり、多くの木の中からどれを測定標準木にするかによって、立木全体の価格は全く変わってくるので、標準木を目利きすることは「最モ必要ニシテ亦至難」な作業であった。
しかし、伐採に従事した者の中には、この測定方法に熟達した者がいて、目測で山林の総間数を導き出せたという。それは、この地方の伐採賃金が樹皮間数を基準に支払われていたからであった。すなわち、木を伐った際、その場で皮を剥ぎ、樹皮1束(4間)につき10銭というのが百年前の賃金相場で、普通一日に4、5束作り、だいたい1日50銭の給金を得ていた。こうしたことから、山林全体の総間数の見当をつけることができたのであろう。
また、県庁所蔵の『明治十四年 山林共進会解説』にも「杉・檜ハ植付後四十年ヲ経タルモノハ大略一本ノ皮数一間二分ノ平均ヲ得ル」という経験則が記述され、「祖先ノ伝フル処ニシテ或ハ又当地ノ慣行」としている。
このように、尾鷲地方では、伐採した木から剥いだ樹皮の面積によって山林全体の立木価格を算出する方法が古くから慣例化していたらしい。
先日、地元の林業史に詳しい人に、この立木測定法を聞いてみたが、もう今は行われていないとのことであった。当時は杉・檜の樹皮が屋根葺き材などとして高い商品価値があったことに関係していたからかもしれない。建築仕様の変化に伴う樹皮需要の低下のほか、林業経営の変容などもあって、特徴的な立木測定方法も忘れ去られようとしている。
(県史編さんグループ 石原佳樹)