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750年前に由来−お水取りに寄進「一ノ井松明講」


極楽寺の境内に用意された松明

極楽寺の境内に用意された松明


 毎年3月に奈良東大寺の二月堂で行われる修二会(しゅにえ)は、一般に「お水取り」と呼ばれ、奈良をはじめとする関西地方に春を呼ぶ行事としてつとに有名である。中でもクライマックスとなる3月12日の夜には、各地から見学に訪れる人も多く、何万人というたくさんの人でにぎわう。
 ところで、お水取りの行法で用いられる松明は、名張市赤目町一ノ井の松明講(古くは松明組)により調進されていることはご存知であろうか。松明は、一ノ井の極楽寺で2月11日に作られ、3月10日に法要が行われる。そして、12日に講の人々によって東大寺に調進される。昔は徒歩で東大寺まで運んでいたが、昭和8(1933)年からは電車を使って運ばれるようになり、さらに昭和63年からは徒歩と自動車で笠間峠を越えて奈良に運んでいる。こうして二月堂に納められた松明は、一年間保管・乾燥され、翌年のお水取り行法で使用される。
 この行事は、今からおよそ700年以上前にこの土地に住んでいた道観(どうかん)長者という人物が、晩年に所有する田を二月堂に寄進し、その所得で松明を作り修二会に献上せよと遺言したことに始まると伝える。東大寺東南院に伝来する古文書中に、宝治3(1249)年3月の「法眼聖玄寄進状」があり、僧聖玄が伊賀国名張郡新荘内の私領を東大寺に寄せていることが知られる。その中に「二月堂 六段 二七箇夜行法続松千二百把料田也」とあって、お水取り行法の松明用に田6段を二月堂に寄進したことが記されている。聖玄は道観の末子とも言われ、同一人かはよくわからないが、一ノ井に残る伝承からも、この行事の起源は少なくとも宝治3年頃まではさかのぼることができそうである。
 また、松明づくりの中心となる極楽寺には、天和2(1682)年と記された「松明行事帳箱」があり、箱の中には、安永元(1772)年から現在まで各年の年番表が保管されているという。
 松明の材料について、藤堂采女元則が編さんした『永保記事略(えいほきじりゃく)』に次のような記載がある。すなわち、昔から近隣の八幡山から檜を切って松明を出してきたが、山をめぐって争論が起こり、50年にわたって吉野方面から檜材を買って調達してきた。元禄11(1698)年、ようやく山論も解決したので、翌12年に旧に復したというのである。ところが、『名張市史』には「五十年間松明調達を中断した」と記されている。何の資料に基づく記述かは明確でないが、極楽寺の「松明行事帳箱」に天和2年の記年があって、その50年間のうちであることから、『永保記事略』記載のように、やはり松明調進の行事は続けて実施されていたものと思われる。それにしても、吉野方面から調達してまで東大寺に松明を送った一ノ井村人たちの律儀さと、その伝統の重さには感服させられる。
 このような人々の粘り強い努力によって、今まで保存維持が図られてきたわけであるが、現在、この行事は名張市無形文化財に指定され、名張青年会議所のホームページでも紹介されるなど、その保存により一層の力が入れられている。

(県史編さんグループ 瀧川和也)

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