トップページ  > 発見!三重の歴史 > 古鏡の出土状況に注目−伊勢では松阪・多気地区に集中

古鏡の出土状況に注目−伊勢では松阪・多気地区に集中


斎宮地区出土の方格規矩四神鏡(富岡謙蔵『古鏡の研究』)

斎宮地区出土の方格規矩四神鏡(富岡謙蔵『古鏡の研究』)


 古墳の副葬品には、玉類・刀剣または鉄器・土器類など、様々なものがあるが、その中で、ひときわ目立つものが鏡であろう。鏡と言っても、当時の鏡は円形の青銅製品で、表面を磨いて鏡面を作った。『古事記』・『日本書紀』などの神話では、鏡を玉や剣などと共に賢(さか)木(き)に掛ける場面が多く描かれ、神霊を招くための呪術具あるいは権威の象徴として鏡が重要な役割を果たしていたことがわかる。考古学的には、鏡背の図像文様に注目が置かれ、各地の出土例が集成されて型式学的な研究が進んだ。一方、地域の古墳文化を考える有効な手立てとして、古鏡の出土状況が重要な課題となってきた。
 現在、旧伊勢国から出土した古鏡は97点を数える。しかし、発掘調査に伴って古墳の埋葬施設などから出土した例は少ない。出土古墳名をあげると、亀山市木ノ下古墳・井田川茶臼山古墳・上椎ノ木古墳、久居市庄田2号墳、松阪市八重田1・8号墳、伊勢市南山古墳の7か所である。うち、井田川茶臼山古墳から画文帯神獣鏡2面、八重田8号墳から捩文鏡と重圏文鏡の2面が発見されていて、古鏡の数にしてわずか9面である。残りの古鏡は、偶然もしくは副葬品収得、いわゆる盗掘による発見である。これらは当然のことながら、学問的な調査技術を伴っておらず、収集家のもつ古鏡には、出土地が確実でないものを含んでいるかもしれない。
 こうしたことを前提にして古鏡の出土状況をながめてみると、旧伊勢国で最も古鏡が出土しているのは松阪市から多気郡にかけてである。伊勢最大の前方後円墳である松阪市宝塚1号墳がこの区域に所在し、南伊勢の古墳文化の中心地で、都合33面の古鏡が出土している。特に松阪市久保古墳から出土した三角縁獣文帯同向式神獣鏡は径23・1pの中国鏡で、多数の三角縁神獣鏡を出土した岡山県湯迫車塚古墳や京都府椿井大塚山古墳のそれぞれ1面とも同型鏡で、久保古墳の存在が非常に注目される。それから、松阪市八重田1号墳出土の二神二獣鏡も径17pの中国鏡で、県内の代表的な古鏡の1つとなっている。
 また、この地域のうち、明和町の斎宮地区からは古鏡が集中して出土しており、特筆すべきことである。大字岩内の神前山古墳出土の画文帯神獣鏡3面をはじめ、大字上村のカマクラ1号墳出土の乳文鏡・玉城町の鴨塚出土の獣形鏡の2面のほか、斎宮付近出土と伝えられる方格規矩四神鏡と四獣鏡がある。さらに、大字金剛坂からも1面が出土しているようで、計8面を数える。ただ、神前山古墳出土の画文帯神獣鏡3面については、2面は確認できるものの、確実に3面出土を裏付ける資料は見られず、多少古鏡出土数は流動的だが、斎宮地区に古鏡出土が集中していることに変わりはない。中でも、神前山古墳の画文帯神獣鏡は、亀山市井田川茶臼山古墳の2面、鳥羽市神島八代神社所蔵の1面、さらに愛知県岡崎市亀山2号墳の1面と同型鏡であることはよく知られ、常に伊勢湾をめぐる古墳研究の課題となっている。
 それに、斎宮地区出土の古鏡でもう一つ興味をひくものがある。それは方格規矩四神鏡で、古鏡研究の先駆者である富岡謙蔵が所蔵していた「径七寸四分」(22・4p)という大型の中国鏡である。1916(大正5)年に富岡が記した論文に初めて紹介され、翌年の論文に「伊勢斎宮附近の古墳より出土せるものなりと伝ふ」と説明している。この鏡の型式はきわめて古く、前期古墳に副葬されるが、北九州地方の弥生遺跡の甕棺からも多く出土するものらしい。そうした前期古墳が斎宮地区に所在したのであり、古鏡が多数出土していることとあわせて、県内の古墳文化研究の上で大きく注目される。

(県史編さんグループ 吉村利男)

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る