『鳥羽城之絵図』 1鋪
180×200p
鳥羽城は文禄3年(1594)九鬼嘉隆(1542〜1600)の築城で、大手門(城の正門)が海に向く、いかにも水軍九鬼氏にふさわしい城です。
絵図には作成年代の記載はありませんが、侍屋敷に記されている人名から、板倉重治が藩主であった宝永7年(1710)から享保2年(1717)の間に作られたことがわかります。おそらく、板倉氏の亀山転封で山城国淀城主戸田光慈(みつちか)が鳥羽城主となった際に、引き継ぎのために作成されたものと考えられます。絵図中には、何箇所かに「流出屋敷」とか「此櫓(やぐら)流失」といった書込みが見られます。これは、宝永4年(1707)の大地震による津波の被害で、それが完全に復旧していないことを示しています。
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