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津藩が採用した泳法「観海流」


 梅雨が明けると、待ってましたとばかり、海やプールに人々が集まります。最近はどこの学校にも立派なプールがあり、幼稚園のころから水に親しむ訓練が行われていますから、水を怖がらずに上手に泳げる子どもたちが増えてきました。その上、各地にスイミングクラブができて、お母さま方の間でも水泳熱が盛んになってきております。
 ところで、水泳と言えば、三重県には古くから有名な水泳術のあることを御存知ですか。
 その泳ぎ方は「観海流(かんかいりゅう)」という泳ぎ方です。蛙足の平泳ぎを基本泳法として、静かに水面に波を立てずに泳ぐというものです。
 観海流は、江戸時代末期、武州忍(おし)藩(現埼玉県)の元武士宮信徳(みやのぶのり)(発太郎)によって津藩に伝えられました。信徳は、諸国を修行中に遊泳術を習得し、津の藤堂藩へ立ち寄りました。嘉永5年( 1852)、今からおよそ140年前、彼は当時の津藩の家老藤堂高克(たかよし)の前で泳ぎを披露しました。信徳の泳ぐ様子があたかも陸を行くように鮮やかであったので、感心した高克が「海を観ること陸の如し」と称賛したことから、この泳法に「観海流」と名が付けられました。
 信徳は再び旅に出て津を離れましたが、安政3年(1856)に信徳から免許を皆伝された津藩士の山田省助とその弟が観海流を受け継ぎ、その家元となりました。
 観海流の泳ぎ方は、今のようにスピードを競うものではなく、長い間泳ぐことができます。疲労を感じず、泳いだあとも陸上での戦いや他の仕事に就けることを目的としたもので、「遠泳」に適していました。
 そこで、津藩では、水軍の兵法として観海流の泳法を採用しました。藩校の有造館で、武芸の履修科目とし、夏の60日間、阿漕浦で泳法の指導が行われましたが、平泳ぎで、多くの人々が列を作り、陣笠・褌姿で、掛け声も勇しく陣太鼓に合わせて泳ぐ様子は見事なものであったでしょう。
 昭和23年(1948)から、岩田川や阿漕浦で観海流による寒中水泳が行われています。一度御覧になってみてください。

(平成3年7月 多上幸子)

垂髪最高師範の模範泳法(昭和30年ごろ)(樋田清砂氏提供)

垂髪最高師範の模範泳法(昭和30年ごろ)(樋田清砂氏提供)

宮信徳石像と観海流門下生(昭和30年ごろ)(樋田清砂氏提供)

宮信徳石像と観海流門下生(昭和30年ごろ)(樋田清砂氏提供)

参考文献

観海流百年祭』昭和29年
『三重県の武道史観海流泅水術抄録』三重県武道史研究会 昭和52年
山田謙夫『観海流』泅水術観海流 平成7年

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