トップページ  > 県史あれこれ > 県域に大被害、安政元年の2地震

県域に大被害、安政元年の2地震


 この1月17日未明に起こった兵庫県南部地震は、神戸を中心に多数の死傷者を出し、戦後最大の被害をもたらしました。被災者の方々には、謹んで御見舞いを申し上げます。
 三重県域にも過去多くの被害をもたらした地震や津波があります。昨年暮れは昭和19年(1944)12月 7日の東南海地震の震災後50年ということで、テレビで特集番組が放送されたり、地元では地震の記録を後世に伝えるための資料掘り起こしが積極的に行われたところです。
 この東南海地震からちょうど90年前、三重県域に大きな被害を与えた二つの地震がありました。嘉永7年(安政元年=1854)6月15日と11月4日の大地震です。
 6月15日の地震は、のちに「安政伊賀地震」と呼ばれるものですが、伊賀だけでなく、桑名・四日市・亀山・津などでも多くの被害が出ました。『古地震』という本では、古文書や現地調査の成果を踏まえて、この地震の震度は、津・亀山・桑名で震度V、伊賀上野・四日市で震度VI〜VIIと推定しています。また、当時の伊賀上野の猪飼貞吉や津町年寄岡嘉平次などの手紙には、一面に家が倒れたとか、即死怪我人数知れずといった状況が細かく記され、伊賀上野では、地震により倒壊した家屋が色で塗られた絵図もあります。
 もう一つの11月4日の地震は、熊野灘から駿河湾にかけての海域を震源とする「史上最高級の地震」で、のちに「安政東海地震」と名付られています。地震後津波が襲い、更に被害を大きくしました。三重県域では、特に志摩から尾鷲にかけての沿岸部の被害が大きかったようですが、津地域で津波とか、山田で家屋倒壊とかの記録も多く見られ、地震の被害は相当広い範囲に及んでいます。
 以上、安政元年の三重県域に関係する大きな二つの地震ですが、この年には、それ以外にも非常に数多くの地震がありました。また、翌年には、江戸で‘安政の大地震‘(「安政江戸地震」)として有名な直下型の大地震が起き、多くの被害が出ました。
 なお、この安政元年の地震以前にも、三重県域に影響のあった大きな地震がいくつもあります。宝永4年(1707 )の10月4日の「宝永地震」、天正13年(1585)11月29日の「天酉地震」、明応7年(1498 )8月25日の「明応地震」などですが、「明応地震」では繁栄していた安濃津の港が壊滅したと伝えられています。

(平成7年1月 川合健之)

伊賀上野城下の被害絵図(岡森明彦氏蔵)

伊賀上野城下の被害絵図(岡森明彦氏蔵)

参考文献

『防災科学技術研究資料第60号 紀伊半島地震津波史料―三重県・和歌山県・奈良県の地震津波史料―』科学 技術庁・国立防災科学技術センター 昭和56年、本文中の「地震名」は、この文献から引用。
東京大学地震研究所『新収日本地震史料』第5巻 別巻3・別巻五ノ一 社団法人日本電気協会 昭和61・ 62年
大長昭雄ほか「安政元年6月の伊賀上野地震―連動したか?活断層」『古地震―歴史資料と活断層からさぐる 』東京大学出版会 平成7年

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る