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道端の伝説「義犬塚」と「鶴の宮跡」


 紅葉の季節も終わりに近づき、日々寒さが増し、暖房器具の恋しい時期になりました。以前は、炬燵を囲んで、おじいさんやおばあさんからその地域に伝わる昔話や伝説などをよく聞いたものです。近くにある社(やしろ)、道端にある老木やお地蔵さんにまつわる話など、三重県にも数多くの伝説があります。今日は、その中から「義犬塚(ぎけんづか)」と「鶴の宮跡」の伝説について紹介してみましょう。
 安芸郡の美里村平木から伊賀上野へと続く長野峠を登っていくと、右手に「義犬塚(犬塚)」という小さなお堂があります。その昔、ある侍が優れた猟犬を得たいと願い、ようやく手に入れた犬を伴ってこの場所に差し掛かったとき、急にその犬が侍に向かって激しく吠えかかりました。危険を感じたその侍は、腰の刀を抜き犬の首を切ってしまいました。すると、その犬の首は、侍の背後にある木の上から侍を狙っていた大蛇に喰いついたのです。侍は自分の思い違いから大切にしていた忠犬をなくしてしまったことを悔やみ、その犬を憐れんで塚を築いたと伝えられています。道端のお堂はその犬をまつったものなのです。また、この伝説は、河芸町の方では、優れた猟犬を得た場所が河芸町の影重(かげしげ)と伝えられているところから、「影重産の名犬」として語られているようです。
 一方、「鶴の宮跡」は、津駅から歩いて15分ほどの人通りの多い旧参宮街道沿い(津市上浜町1丁目)にあります。これは、津藩主の第二代藤堂高次が、その場所で狩りをしていて鶴を射止めたのですが、ちょうどそのとき、朝廷より官位昇進の知らせが届き、大変めでたいことであったので、その射止めた鶴を埋めて、社殿を造りまつったということです。しかし、明治40年(1907)には合祀され、社殿はなくなり、今は小さな石碑が、あまり人目に触れることもなく、ひっそりと立っているだけです。
 このように、日頃私たちが何気なく通り過ぎている箇所に昔からの言い伝えが、いくつか残されています。
 これらの伝説は、ただちに歴史とは言いがたいものですが、地域の歴史を調べる上で何らかの手掛りを与えてくれるかもしれません。自分のまわりのいろいろな伝説を古老の方々から聞いてみてはいかがでしょう。

(平成3年11月 茅原廉子)

義犬塚のお堂(平成7年9月撮影)

義犬塚のお堂(平成7年9月撮影)

鶴の宮跡石碑

鶴の宮跡石碑

参考文献

三重県安濃郡教育会『三重県安濃郡誌』大正13年
三重県立津高等女学校郷土地理調査部『三重県伝説集』 昭和11年

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