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今にいきづく呪符「蘇民将来子孫」


 今年も、残すところあとわずかになりました。お正月を迎える準備は、もうお済みですか。数々の迎春準備のうちで、欠くことのできないものの一つに注連飾(しめかざ)りがあります。玄関や門口に注連縄を張ったり、門飾りを飾ると、いよいよお正月を待つばかりとなります。
 日本各地で見ることができ、お正月の風物詩とも言えるこの注連飾りに少し目を向けてみてください。ここ三重県、特に南勢・志摩では、よく「蘇民(そみん)将来子孫家門」・「蘇民将来子孫門」の文字が書かれています。この「蘇民将来子孫」について、『宇治山田市史』等では『備後風土記逸文』を引用して、スサノオノミコトが、南海への旅の途中、蘇民将来・巨旦(こたん)将来という名前の二人の兄弟のいる地に立ち寄り、そこで、ミコトは一晩泊めてくれるよう二人に頼みました。弟の巨旦はとても裕福だったのですが、断りました。兄の蘇民は貧しかったのですが、親切にミコトを泊めてあげました。スサノオノミコトは喜び、蘇民に「今後、この地に悪い病気が流行ったときには、蘇民将来の子孫であると言い、茅輪(ちのわ)(茅や藁(わら)を束ねて作った大きな輪)を腰に着けなさい。そうすれば病気を免がれるでしょう」と言って、その地を立ち去った。
という言い伝えを載せていますが、こうしたことからか、現在でも札に蘇民将来子孫と書いた注連縄を飾り、家の中に邪霊が入るのを防ぐ呪符の意味を持たせているようです。
 また、近年では「笑門」と書かれた注連飾りもよく見かけます。これは文字どおり「笑う門には福来る」を連想させるものですが、これらの注連飾りは一年中飾っておかれ、毎年大晦日に新しいものと取り替えられます。注連飾りを一年中飾っておくのも、南勢・志摩地域独特の風習です。
 このように、今日は、南勢・志摩の注連飾りなど、今に残る民俗資料が地域の文化や風俗を語り、重要な歴史の資料であるというお話をしました。

(平成3年12月 吉田 穰)

注連飾り

注連飾り

参考文献

『宇治山田市史』下巻 昭和4年
秋本吉郎校注『日本古典文学大系2 風土記』岩波書店 昭和33年
伊勢市民俗調査会『伊勢市の民俗』伊勢文化会議所 昭和63年
野村史隆「伊勢・志摩海民の漁撈と信仰」『海と列島文化 第8巻 伊勢と熊野の海』小学館 平成4年

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