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古代の人々の祈願と馬の奉納


 受験シーズンです。各地の神社に合格を祈願した絵馬が無数に並んでいるのをよく見掛けます。
 ところで、皆さんは絵馬の起源を御存知ですか。
 古代の人々の生活は、自然に大きく左右されていました。自然には神が宿っていると考えられ、当時の人々にとって神への祈願は重大なことでした。
 その祈願には多くの方法がありましたが、生きた馬の奉納もその一つでした。馬は神の乗り物あるいは貴人の乗り物だと考えられていたからです。また、雨乞いのときには黒馬を、雨がやんで欲しいときには白馬を奉納すると良いとされていました。このように、神に奉納された馬を「神」の「馬」と書いてシンメ又はジンメと言います。神馬は、その後、土製の馬形・木製の馬形・馬の形の板となり、そして、板に馬の絵を描いた絵馬へと変化していきました。
 多気郡明和町の斎宮跡では、飛鳥時代後半から平安時代前半のものと思われる土馬(どば)が多く発掘され、中には全国一の大きさだと言われているものもあります。また、県内のいくつかの遺跡でも同じ時期の土馬が多く発掘されています。
 一方、静岡県の伊場遺跡からは、奈良時代の馬の板絵が多く発掘され、既にこの時代に絵馬の奉納が行われていたことがわかります。さらに、その後には板に描かれる絵に庶民の悩みが反映され、その図柄もバラエティーに富んだものとなり、芸術性を意識して描いた絵馬を鑑賞画として見るようにもなりました。
 なお、大きな神社では神馬が飼われていますが、平安時代の法律書である「延喜式」には、伊勢神宮の祈年祭・月次祭・神嘗祭のときに他の幣帛と共に馬が奉られることやその馬の中から各2頭の良馬を選び外宮・内宮の神域内で常に飼育し、他は牧場に放し飼いにするとの決まりが記されています。
 このように、古代の人々は馬や土馬・絵馬を奉納して、五穀豊穣や安全を祈願したようです。

(平成5年2月 藤岡千帆)

斎宮跡出土の土馬(『斎宮跡発掘資料選』)

斎宮跡出土の土馬(『斎宮跡発掘資料選』)

参考文献

八束清貫『皇室と神宮』神官司庁教導部 昭和32年
宮田登「呪ないの原理」『神と仏―民俗宗教の諸相』日本民俗文化大系 第四巻 小学館 昭和58年
『斎宮跡発掘資料選』斎宮歴史博物館 平成元年

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