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伊賀地域に多い大型前方後円墳


 最近、「仁徳陵やはり日本一」という新聞記事(『中日新聞』平成2年5月20日)がありました。全国の大型前方後円墳のデータをコンピュータで分析したところ、これまでの古墳の長さは仁徳陵(大山古墳)、体積は応神陵(誉田山古墳)が最大という定説に対し、いずれも仁徳陵が第1位であるという結果が出て話題になったものです。そこで、今日は三重県の大型前方後円墳についてお話します。
 三重県内最大の規模を持つ前方後円墳は、伊賀盆地北東部、上野市佐那具の御墓(みはか)山古墳です。長さ 188メートルで、5世紀前半に築かれた古墳と考えられています。応神陵・仁徳陵と同時期で、全国的に古墳が巨大化する傾向にありました。
 次いで規模の大きな前方後円墳も同じく伊賀地域にあります。それは伊賀南部の名張市新田に所在する馬塚古墳で、近鉄大阪線美旗駅前にその姿を横たえています。長さ142メートルで、古墳の周囲には幅15メートルの濠がきれいにめぐり、「美(うま)し塚」から「馬塚」と呼ばれるようになったとも言われています。前方部が幅広く、先端部は100メートルに及んでいます。馬塚古墳は、こうした古墳の形や発見された土器・埴輪から5世紀後半のものと推察できます。
 また、馬塚の周辺には、4世紀末の殿塚古墳・5世紀前半の女良塚・5世紀中葉の毘沙門塚古墳・6世紀初頭の貴人塚古墳の前方後円墳があります。ちょうど一世代ごとに築かれたようで、当時この地にいた豪族の力の強さを物語っています。
 さらに、伊賀地域中央部では上野市才良に120メートルの石山古墳があり、戦後京都大学の手で発掘調査が実施されて全国に知られています。それに対し、伊勢地域では松阪市宝塚古墳の95メートル、亀山市能褒野(のぼの)古墳の90メートルが大型の前方後円墳で、100メートルを超える規模のものは知られていません。やはり、畿内に近い伊賀地域の古墳文化の優位性が感じられるところです。

(平成2年5月 吉村利男)

大正初めごろの馬塚古墳(伊賀史談会「史料絵葉書」中川甫氏蔵)

大正初めごろの馬塚古墳(伊賀史談会「史料絵葉書」中川甫氏蔵)

コンピュータ・グラフィックで描く石山古墳

コンピュータ・グラフィックで描く石山古墳

参考文献

三重県教育委員会『伊賀東部遺跡地図』 昭和46年
森川桜男「伊賀路の古代史(中)」『伊賀郷土史研究』第八輯 伊賀郷土史研究会 昭和56年
山本雅靖「古墳時代首長墓の系列的築造と地域構造 ― 伊賀地域における ― 」『三重県史研究』第3号 昭和62年

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