戦時下の三重県に大きな被害、東南海地震
昭和19年(1944)12月7日に起きた東南海地震は、三重県に大きな被害を与えました。マグニチュード 8.0で、関東大震災のマグニチュード 7.9を超える大地震でした。震源地は、志摩半島南々東約20キロ沖の海底で、この地震による被害地は静岡・愛知・三重の東海三県をはじめ、長野・山梨・岐阜・和歌山・大阪・兵庫などの各府県に及び、1,223 人の死者・行方不明者など大きな被害が出ました。
三重県での被害は、死者・行方不明者 406人、負傷者 607人、家屋の倒壊 11,558戸にも達しました。特に三重県では、地震後に発生した津波による被害が大きく、志摩半島以南熊野灘沿岸の町村では、多くの死者・行方不明者がありました。
現在の紀勢町錦支所に残されている『昭和大海嘯記録』という記録を見ますと、「午後1時40分前後に遠州灘を中心とする一大地震が突如として起こり1分8秒に及んだ。町民一同驚き戸外に飛出津波の襲来を心配したが、10 数分にして大津波が押寄せた」と書かれており、震源地が近かっただけに地震発生から津波襲来までの時間があまりにも短く、十分な避難ができなかったのでしょう。さらに同じ記録には、「大半の民家は見る見るうちに将棋倒しとなり、間もなく津波はひき始め、倒壊家屋の古材が浦に充満した。溺れる者もあったが、如何ともする術がなく、これらの有り様を眺めていた避難民はじだんだ踏んで泣き叫んだ」と、その時の凄まじい様相がつづられています。
津波の高さは、この錦で6メートルで、当時錦町の役場にあった丸い掛時計の下半円部まで潮につかったようで、この時計は、今も丹敷(にしき)資料館に展示され、津波の凄さを伝えています。
(昭和63年8月 吉村利男)
錦地区の津波被害状況(『くろしお 錦小学校創立百周年記念』より)
参考文献
中央気象台『東南海大地震調査概報』昭和20年
吉田惣次郎『昭和大海嘯記録』昭和20年
山下文男『隠された大地震・津波』新日本出版社 昭和61年