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松阪で開催、三重県最初のメーデー


 メーデーは、労働者の団結を高めるために毎年5月1日に行われる労働者の祭典です。その起源は、1886年5月1日に、アメリカの労働者が8時間労働を要求して、ストライキやデモを行ったのが始まりだと言われています。
 日本では、それから34年後の大正9年(1920)5月2日の日曜日に、第1 回のメーデーが行われました。なぜ、5月2日に行われたのかは、はっきりしませんが、おそらく日曜日の方が参加しやすかったからでしょう。それでも、参加者は、 1,000人足らずで、場所も東京上野公園1ヵ所に限られ、現在と比べると随分規模の小さいものでした。
 三重県では、それから遅れること5年。大正14年5月1日に、現在の松阪市で行われたメーデーが最初でした。当時の新聞記事の中から、その時の様子をいくつか御紹介しましょう。
 このメーデーを計画したのは、三重県水平社と三重県農民組合等でした。当日の会場となった愛宕町の龍泉寺には、車夫や伊勢表の職人など 1,000余名の労働者が集まりました。中でも目を引くのは、福岡県の炭鉱夫50名が伊勢参宮の途中で参加したとのことです。一行は、主催者からメーデーの意義や行進についての注意を受けたあと、「県水平社、農民組合、無産階級万歳」を三唱して、ラッパの音勇ましく会場から行進に繰り出しました。途中、労働者たちは旗をなびかせ、大きな声で労働歌や水平社の歌を歌ったりしました警戒に当たった松阪署の警官達と小ぜりあいはあったものの、日野町・松阪公園・町役場前・中町などを経て、松阪座前に到達し、万歳三唱の後解散しました。
 こうして三重県でも、戦争の一時期を除いて、毎年メーデーが行われようになりました。

(昭和62年4月 山口千代己)

メーデーを報ずる新聞記事(伊勢新聞 大正14年5月1日)

メーデーを報ずる新聞記事(伊勢新聞 大正14年5月1日)

龍泉寺に集まる参加者(愛国新聞 大正14年6月10日)

龍泉寺に集まる参加者(愛国新聞 大正14年6月10日)

参考文献

『覆刻愛国新聞(大正13年3月1日〜大正15年1月1日) 』   労農運動史刊行委員会 昭和50年
三重県部落史研究会『解放運動とともに- 上田音市のあゆみ』
三重県良書出版会 昭和57年

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