トップページ  > 県史あれこれ > 私設鉄道で発足した関西・参宮鉄道

私設鉄道で発足した関西・参宮鉄道


 三重県内を走る旧国鉄線のうち、関西線と参宮線は、もともと民間の資金による私鉄鉄道として発足したものです。
 関西鉄道会社は、四日市に本社を置き、明治21年(1888)に資本金300万円で創立され、明治23年には、草津〜四日市間の幹線、翌24年には亀山〜津間の支線が開業されます。以後、徐々に鉄道を延長していきますが、この関西鉄道は、名古屋と京都・大阪を結ぶ重要な鉄道となり、明治38年には 1,000 万人以上の旅客を輸送し、官設の鉄道との間で、旅客や貨物の誘致をめぐって激しい競争をしました。
 また、参宮鉄道会社は、伊勢神宮への参拝客の輸送を目標に明治23年に創立されたもので、本社は当時津市大門にありましたが、のち宇治山田に移るようです。
 東京の交通博物館に残されている明治23年の参宮鉄道会社創立についての文書をみますと、参宮鉄道は、当初、津から雲出・松阪、そして斎宮を通って小俣に達するという海岸に近いコースの計画だったのですが、水害地を避け、さらに山田まで乗り入れるために、松阪から山手を通る計画に変更されています。なお、その時の鉄道の建設予算は90万円、年間の乗客数は30万人年間の純利益を約10万円と見込んでいました。
 この鉄道に対しては、伊勢(参宮)街道沿いの住民たちから、参拝客を奪われるとして反対もありましたが、明治26年に津〜宮川間が開通します。
 そして、明治30年11月には山田まで延長され、乗客は明治31年の1ヵ年で約80万人にのぼって、見込みを大きく上回っており、鉄道会社の奮闘がうかがえるところです。
 こうした私設鉄道も、日清・日露戦争を通じ、軍事輸送が強化されていく中で、国有化されることとなっていったのです。
 明治39年3月に、私鉄17社を買収するという鉄道国有化法案が成立し、関西鉄道・参宮鉄道も、翌40年10月に国有鉄道の一路線となりました。 それから、ちょうど80年、今また民営となるのです。

(昭和62年3月 吉村利男)

参宮鉄道機関車(『日本国有鉄道100年写真史』より)

参宮鉄道機関車(『日本国有鉄道100年写真史』より)

参考文献

『三重県史』資料編 近代3(産業・経済) 昭和63年
原田勝正『日本の国鉄』岩波新書 昭和59年

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る