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「北海道」命名者・松浦武四郎と北海道移住


 三重県の人で北海道に足跡を残した人は少なからずいます。現在の一志郡三雲町に生まれた松浦武四郎もその一人です。彼は江戸時代の終わり頃から明治の初めにかけて活躍した人で、その頃、北海道は蝦夷地と呼ばれていました。武四郎はこの蝦夷地や樺太を調査し、優れた著作を残しています。明治時代になって、蝦夷地は北海道と改められましたが、この名前は松浦武四郎の意見がもとになったものです。彼は北海道開拓使(いまの北海道庁)で開拓判官を務めていましたが、明治3年(1870)に辞職しました。
 この北海道開拓使は、北海道に官営工場を建てたり、ヨーロッパ式農業を指導したりする一方で、移民を募集して原野の開拓を行わせていたので、全国から失業した武士をはじめ、多くの農民や漁民が移住しました。この三重県からも、明治26年に津市岩田の人達5人が、札幌の少し東、現在の岩見沢市へ移住したのをはじめとして、県内各地から北海道へ移住する人が続きました。特に旭川と日高にはさまれた富良野(ふらの)盆地には集団で移住し 200戸からなる大きな村を作りあげたのです。そのため、今でも富良野盆地では伊勢弁が聞けるという話もあるぐらいです。
 開拓使の土地の割り当てはかなりいい加減なもので、とても開墾できないような土地を与えられたりすることもあり、開拓した人々の苦労は並大抵のものではなかったかと思われます。現在でこそ北海道と言えば、広々としたジャガイモ畑や牧場がすぐ思い浮かびますが、当時の北海道は、エゾマツやトドマツの原生林と湿地帯の続く荒地だったでしょう。まれに残る湿原が、当時の姿を想像する、わずかな手がかりと言えるでしょうか。
 観光地の中でも大人気の北海道。今年もたくさんの人が訪れることでしょう。もし、北海道へ旅行されることがあったら、広く美しい大地に立って、北海道の過去や三重県との関わりについても、少し思い出してみて下さい。

(昭和62年6月 鈴木えりも)

松浦武四郎肖像写真 武四郎の記した『久摺日誌』(『拾遺松浦武四郎』より)

松浦武四郎肖像写真 武四郎の記した『久摺日誌』(『拾遺松浦武四郎』より)

参考文献

松浦武四郎研究会編『校注簡約松浦武四郎自伝』昭和63年
吉田武三『拾遺松浦武四郎』昭和39年
北海道庁『殖民公報』第70号 大正2年

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