56 博物学者・佐々木豊三郎
Q 現在の一志郡嬉野町出身の佐々木豊三郎という博物学者がおられたとのことですが、氏の略歴などを知りたい。わかる範囲で教えてください。 (平成九年八月 県内行政機関)
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A 佐々木豊三郎は、明治元年(一八六八)一志郡豊地村(現嬉野町豊地)で出まれ、昭和十二年津市内で享年七十歳で亡くなっています。氏の略歴を『学窓会通信』(三重県師範学校学窓会事務所発行)の付録として、時々掲載された「学窓会員名簿」等を中心にして探してみますと、以下のようになります。 明治二十四年 (一八九一) 三重県尋常師範学校卒業 二十五年 (一八九二) 一志郡高等小学校勤務 二十九年 (一八九六) 尋常中学校助教諭 三十~三十二年頃 私立励精館(県立津商業の前身)の嘱託を兼務 三十三年 (一九〇〇) 第一中学校助教諭 三十四年 (一九〇一) 三重県師範学校教諭 三十五年 (一九〇二) 佐賀県師範学校教諭 四十 年 (一九〇七) 滋賀県膳所中学校教諭 大正 二年 (一九一三) 三重県師範学校勤務 五年 (一九一五) 三重県師範学校嘱託教員 十二年 (一九二三) 浜松県立蠶業学校(校長) 十四年 (一九二四) 藤枝高等女学校(校長) 昭和 五年 (一九三〇) 勤務校名なく、住所のみ(静岡市東鷹匠町) 八年 (一九三三) 住所のみ(津市柳山町) 十二年 (一九三七) 十月二十四日 逝去 それで、『学窓会通信』第二〇二号には「佐々木豊三郎氏の逝去」という三重県師範学校学窓会長の弔詞が掲載されています。この中で、「東海静岡県ニ於テ或ハ実業学校長或ハ県立高等女学校長トシテ令名ヲ馳セ」とありますので、静岡県奉職中は学校長であったことがわかります。また、その続きに、「功成リ名遂ゲテ錦ヲ故山ニ飾ルヤ矍鑠タル君ノ壮志ハ更ニ君ヲシテ範ヲ高田中学ニ垂レシム」とあって、帰県後も教鞭を執っていたようです。 また、氏は、教育者である一方、博物学者としても知られており、明治三十四年五月発行の『博物学雑誌』には「博物学家肖像」として紹介されています。それによれば、「第一回東京帝国理科大学臨海実習会に於て成績佳良の証明書を受けられたり君は三重県に於ける植物分布を研究せらる」と記されています。なお、氏の書かれたものとしては、大正四年に両皇子殿下の供覧のために収集された本県産の岩石・鉱物・化石類の標本を解説した「三重県産鉱物標本解説書」(『三重教育』二一三号「雑録」)と、大正五年に度会郡役所が発行した『度会郡之地質』があります。これらについては、一九一〇年代におけるこの分野の出版物がきわめて稀少であることから、当時の学問の内容や水準がよくわかる点でも高く評価されています。 |
参考文献
『博物学雑誌』第三巻第二十六号 動物標本社 明治三十四年
『三重教育』二一三号 三重教育会 大正四年
『学窓会通信』第二〇二号 三重県師範学校学窓会事務所 昭和十二年
『三重県史』別編(自然) 平成八年
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