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72 伊勢湾台風の被害


Q 日本列島は台風の通り道と言われ、毎年台風シーズンになると、大小の台風が西日本を中心に襲来します。それらの台風の中でも、最大級の台風、東海地方とりわけ三重県下に大きな被害を与えた「伊勢湾台風」について、その規模・特色・被害状況・災害対策などについて、概要を聞かせてください。

(平成八年六月 県内個人)
A 「伊勢湾台風」は、昭和三十四年九月二十六日に東海地方に襲来し、三重県下に大きな被害をもたらしました。台風としては、「室戸台風」(昭和九年)や「枕崎台風」(昭和二十年)に次ぐ超大型のものですが、高潮などによる被害から見ると、わが国の台風史上空前のものと言われています。
 まず、津地方気象台は、前日の二十五日の十八時四十五分に台風情報第一号を出し、「台風十五号は午後三時現在、潮岬の南方約八五〇キロメートルの洋上にあり──中心の勢力は九〇五ミリバール、中心付近の最大風速は六〇メートル」の大型であることを伝えました。その後、この台風の本県に接近する時刻が伊勢湾の満潮時刻と重なるので高潮、さらに本県の位置が台風の予想進路の東側に位置するので暴風雨に対する警戒も呼び掛けています。
 この大型台風は、二十六日六時に室戸岬の南およそ四五〇キロメートルの海上に達し、毎時三三キロメートルで北上し、十八時二十分ごろ紀伊半島の南部に上陸しました。上陸後もその勢いは弱まらず、十九時三十七分には津気象台開設以来の瞬間最大風速五一・三メートル、平均最大風速三六・八メートルを記録しました。また、大王崎灯台では瞬間最大風速六一・〇メートルを記録し風速計を破損したということです。上陸してからの進路は、二十時頃奈良・三重県境いを縦走し、伊賀地域を通り、二十一時には揖斐川上流に進み、二十七日の〇時四十五分過ぎ、日本海に抜けました。
 紀伊半島南部に上陸してからわずか六時間余りの短時間でしたが、暴風も激しく、降雨量も多いものでした。『伊勢湾台風災害誌』では、この台風の特徴をいくつかあげています。主なものは、(1)発生から上陸までの期間が六日間と短く、発達したまま上陸したこと、(2)暴風圏が非常に広かったこと、(3)東西に伸びた停滞前線が刺激され大雨をもたらしたこと、(4)上陸後も強い勢力を維持したため風による被害を大きくしたこと、(5)伊勢湾に高潮を発生させる最悪のコースを通ったことなどです。こうした特徴もあって、今までに例のない大きな被害をもたらすことになったのです。
 県下の被害状況は、次のとおりです(『災害誌』)。
 人的被害は死者一、二三三名・行方不明者四八名・負傷者五、六八八名、また家屋の被害は全壊五、三八六戸・半壊一七、七八六戸・流出一、三三九戸で、床上浸水三〇、八五二戸・床下浸水三一、八〇三戸、罹災者の概数は三〇三、〇八〇人、被害総額は約一、八二六億円
 三重県はもちろん、わが国の災害史上でも未曽有の大被害でした。特に臨海部の被害が甚だしく、とりわけ木曽三川の下流域が高潮による大きな被害を受けました。
 県は、二十六日十一時、暴風雨警報が発令されると同時に災害対策本部を設置し(二十七日には非常災害対策本部に切り換え)、二十七日一時三十分以降、被害の大きい市町村に災害救助法を発動し、罹災者の救出・炊出し・応急救助活動を開始しました。さらに予想を上回る被害状況が判明した十五時三十分には県下の全市町村に災害救助法が適用され、政府も強力かつ機動的な災害対策を実施するために、名古屋市に災害対策本部を設置しました。
 その後、災害復旧等に関する特別措置法の制定や被害激甚地に対する高率な国庫補助や減税措置も講じられ、復旧に向かって作業が進められたのです。来年の1999年は伊勢湾台風からちょうど四十年です。

参考文献

『伊勢湾台風による災害の概況と応急対策』 三重県 昭和三十四年
『伊勢湾台風災害史』 三重県 昭和三十六年

参考文献の挿図より

参考文献の挿図より

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