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40 伊勢神宮と多賀神社


Q 「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という俗謡があるようですが、滋賀県の多賀大社と三重県の伊勢神宮とのつながりは何でしょうか。

(平成七年八月 県内行政機関)
A 滋賀県犬上郡多賀町にある多賀神社(昭和二十二年多賀大社と改称)は、平安時代の『延喜式』に「多何神社二座」と見え、この頃までに二神が祀られていたことがわかります。そして、多賀神社への参拝は、「多賀神社文書」などの史料では十五世紀の末頃からたどれますが、早くから「お多賀さん」と親しまれ、広く信仰を集めていたようです。
 こうした信仰の広がりには、中世の「蟻の熊野詣」と言われるほどにぎわった熊野への参詣やその後の伊勢参詣とも関係があるのかもしれません。そのあたりを少し考えてみましょう。
 まず、問い合わせの「お伊勢お多賀の子でござる」ですが、これについては、多賀神社の祭神が伊邪那岐・伊邪那美大神で、この二神は成婚して伊勢神宮の祭神である天照大神を生んだという神話が『古事記』などに伝わっており、伊勢神宮や多賀神社への参詣が多くなるにつれて、こんな俗謡ができたと思われます。また、「お伊勢参ればお多賀へ参れ」は,多賀神社への参詣誘致で、さらに「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、お多賀さまへは月まいり」とも歌いはやされ、盛んに多賀神社の宣伝を行い、その信仰が拡大されていきました。
 特に、「同宿輩(坊人)」たちが全国的に勧進をして回ったことが大きな宣伝効果となったようですが、伊勢神宮での「御師」たちの布教活動と同様の活動が行われていたわけです。全国各地に大般若講や延寿講などの多賀講が組織されたのも、伊勢神宮の参宮講や神明講などと同じです。
 なお、こうした講は江戸時代中期以降に多くなりますが、一方では、信仰の名を借りた物見遊山の旅行という面もあったようです。行き先としては、伊勢神宮・熊野三山を筆頭に、各地の神社寺院が選ばれました。こうした参詣、物見遊山が流行していく中で、伊勢参りの往き帰りに多賀神社へもあわせて参詣する人々も増加するという現象も見られ、互いにつながりを持っていたと言えます。

参考文献

『角川日本地名大辞典』滋賀県 角川書店 昭和五十四年
『滋賀県の地名』日本歴史地名体系25 平凡社 平成三年
神崎宣武『物見遊山と日本人』 講談社現代新書 平成三年

伊勢神宮(内宮)と多賀大社

伊勢神宮(内宮)と多賀大社

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