トップページ  > 県史Q&A > 6 三重県内の金鶏伝説

6 三重県内の金鶏伝説


Q 一志町の高野団地の一角に残っている上野山三号墳は大塚と呼ばれていますが、「この古墳には金の鶏が雌雄ひとつがい埋められていて、高野の村が三軒に退転したときはこの塚を掘れ、そうすると村は元の通りになる」という昔からの伝説が残っていることを知りました。そこで、県内におけるこのような伝説について、概要を聞きたいのですが。

(平成九年九月 県内個人)
A このような伝説は、県内各地に残っていて、各「市町村史」や「民話集」などで部分的に紹介されたりしています。県内各地をまとめられたものとして恐らく唯一のものは、昭和三十八年に刊行された鈴木敏雄氏の『三重の金鶏伝説地』で、県下の百六五ケ所の金鶏に関する伝説地が書き集められています。
 金鶏伝説の基本的な筋書きは、「ある場所に金の鶏が埋められていて、正月元旦の朝に鳴くこと、村が衰退した時にそこを掘ると元通りになる」というものですが、時代が過ぎるに従って伝説の一部が消滅したり付加されたりして次第に変化しています。鈴木氏の『三重の金鶏伝説地』から県下の概要をまとめてみると、次のようになります。
 伝説のある場所、すなわち埋納されているとされる場所は、古墳・経塚などの塚、一般的には「黄金塚」とか「金鶏塚」と俗称されているところが多くて六一%です。次に、寺院・神社境内にある井戸・馬酔木の下・築山・墓碑などが三〇%です。その他は九%で、山・池・大石・谷・野原・森などです。
 埋納物として伝えられるものは、当然、つがいか一羽の金鶏が多くて七〇%を占めています。この金鶏の変化したものとしては、金の茶釜・鳳凰・獅子・馬・鈴・酒杯・縄・甲冑・鎖・轡・御羽車・唐箕又は大判小判や延べ棒などがあり、一九%を占めます。中でも、大判小判や延べ棒が一一ケ所、茶釜が七ケ所と多く、このほかは各一ケ所です。次に、金鶏に付け加えて、金の縄・鎖・冑・幣又は升などを組み合わせた場合が三%、不明その他が八%です。
 この伝説に関する俚謡で、中勢地域に残るものに「朝日さす 夕日かがやく 日の本に 金のにわとり つがいあり 粟ごめ三合縄一把」というのがあります。歌意がやや理解しにくですが、伝説の基本的な筋書きを歌ったものと思われます。変化していった伝説の俚謡は、南勢志摩地方の八ケ所に残っています。その一例をあげれば、「朝日さす 夕日かがやく つつじのもとに 大判小判 のちの代のため」というものです。他の俚謡では「さす」・「つつじ」・「大判小判 のちの代のため」の部分が異なっています。
 金鶏伝説がいつ頃から存在するようになったかは明確ではありませんが、経塚や寺社跡などにもこの伝説がついていることから、仏教との関係が深いものとして、南北朝時代からでは、という指摘もあります。
 こうした伝説が古墳等の発見につながり、参考となることもありますが、金鶏伝説地に関する古墳や経塚などが盗掘されている例も非常に多く、文化財保護の上で問題にもなります。金の鶏という宝物への興味がなせる業と言えますが、伝説はあくまでも伝説であり、決して歴史的事実ではないのです。

参考文献

鈴木敏雄『三重の金鶏伝説地』 楽山文庫 昭和三十八年

「三重の金鶏伝説地」より

「三重の金鶏伝説地」より

トップページへ戻る このページの先頭へ戻る