大淀三千風
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俳人伝大淀三千風(おおよどみちかぜ)1639~1707射和の豪商三井家に生まれ、名を友翰と称し、三千風、無不非軒等と号した。15歳の頃から俳諧を志し、31歳で法体して専ら俳諧の道に進み、やがて芭蕉と同じ時代にあって活躍し、近世俳諧史上、特異な地歩を占めた俳人であった。指定された資料は74点で、中に「附」として三千風愛用の手文庫1点がある。三千風自筆のものは19点で、短冊7点の他は巻子・懐紙等である。他は知人、門人などの手になる資料であり、三千風の画像など貴重なものも多い。 商家に生まれながら生涯を旅に費やし、句を読み続ける人生を送った、江戸中期に射和から輩出した高名の俳人です。67歳で故郷射和に帰って病床に伏し、69歳で生涯を閉じるまで、全国を訪ね歩いて作句活動を続け、7巻7冊にわたる「日本行脚集」を刊行しました。西池上(多気町)の旧明通寺境内には供養碑が建っています。これは同寺が明治11年にこの地へ移転された折、この碑も一緒に遷されたものです。また、射和の町が一望できる秋葉山には、三千風の顕彰碑が建っています。69歳で没する。 関連人物・史跡等◆法体(ほうたい)・・・仏門に入って髪を剃り法衣を着た出家の姿 |