中川乙由
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俳人伝中川乙由(なかがわ おつゆう)1675~1739乙由は、通称、喜右衛門。伊勢国川崎中川勝久の男で、新屋と号し、材木商であったが、のち神宮の御師となり、慶徳図書と号した。麦畑の中に草庵を結んで麦林舎と号したのは、さらに後の事であろう。俳諧は芭蕉晩年の門人であるが、面接は一二度くらいらしく、主として凉莵の門人。伊勢風俳諧を弘布したのは凉莵・乙由二人の力である。また支考の門人とする説もある。後世、支考の美濃風と合わせて支麦といい、俗談平和的の作品が多く、これがため一大勢力を得たが、天保俗調の先駆をなくすものと観られぬこともない。俳諧のほかに絵画を善くした。伊勢風俳諧の理念は、伊勢風に傾倒した凉袋の『南北神話』によって窺うことが出来る。家集『麦林集』及び『麦林集後編』を男麦浪が出版し、追福の集は三回忌に『秋のかぜ』、十三回忌に『月の夕』、十七回忌に『一字題』などが刊行された。 |