三浦樗良
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俳人伝三浦樗良(みうらちょら)1729~1780樗良は伊勢の中興六大家の一人で、紀伊長島浦地蔵町に生まれる。伊勢俳諧の伝統をもつ紀伊長島の百雄に手ほどきを受る。山田で麦林、神風館の人々と交わったが、木本・新鹿(あたしか)(熊野市)で旗をあげ、山田に無為庵(がいあん)を構えた。「樗良は笠付(かさづけ)に遊ぶ」と自嘲したこともあり、桑名長島に寓居、江戸、北国に放浪もしたが、安永二年蕪村を知って同五年には京都へ移る。平淡清新な叔情で俳諧革新の一翼となった。北越、加賀が勢力圏。1780(安永9)年、山田へ帰り52歳で没した。墓は伊勢市にある。『我庵』『石をあるじ』など。 関連人物・史跡等◆神風館(じんぷうかん)・・・伊勢久居城主藤堂任口の命名で、初代足代雪堂、二代足代弘員、三代涼菟、四代曾木、五代梅路、六代温故、七代何声・・・・(以下略)と続く。 |