荒木田守武
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俳人伝荒木田守武(あらきだもりたけ)1473~1549伊勢内宮三禰宜荒木田(薗田)守秀の9男、母は藤浪氏経の女。通称薗田長官。2歳で従五位下に叙任され、15歳で禰宜となる。69歳で一禰宜に上る。幼少の頃から連歌を嗜み、宗祇、宗長、兼戴、肖柏、周桂らに学ぶ。後に連歌の煩わしい約束から離れ、俳諧連歌を文学の一分野として独立させる。後生の俳人からは山崎宗鑑と並び、俳諧文学の祖のひとりと仰がれる。『守武千句』は俳句を連歌方式で詠じるというもの。他に『御傘』『新増犬筑波』『俳諧詠草』『守武随筆』『伊勢論語』(教訓歌集)など。天文18年8月8日、77歳にして没す。(守武忌) 関連人物・史跡等◆禰宜(ねぎ)・・・神職の位のことで、宮司の次の役職をいいます。◆山崎宗鑑・・・室町時代の連歌師・俳諧師。 |