トップページ  > 所蔵品検索  >   > 村山槐多


村山槐多 むらやまかいた

生没年

1896-1919

出身国

日本

記事

村山槐多  「自画像」 コレクション名品選のページ(森本孝)
ひるういんどno.1(1982.8)  『村山槐多「自画像」』 東俊郎
生誕100年記念 村山槐多展図録 1997.6
ひるういんどno.59(1998.1) 酒井哲朗  「村山槐多とエゴン・シーレ」
東俊郎   「村山槐多(1896-1919) 《自画像》(表紙解説)」
東俊郎 赤の槐多・赤の白秋 コレクション万華鏡 -8つの箱の7つの話 1998.9
東俊郎 作品目録5. 村山槐多 ・ 関根正二 スケッチ帖 岡田文化財団寄贈作品集Ⅱ 1999.4
一枚で二度おいしい?」 田中善明 友の会だより no.53, 2000.3.30
「村山槐多《自画像》」 子ども美術館Part5-さくひん解剖学 2000.7
田中善明 村山槐多《自画像》のX線画像 三重県立美術館所蔵作品選集 2003.10
東俊郎 作品解説;村山槐多《自画像》、三重県立美術館所蔵作品選集 2003.10
田中善明、「特集展示 村山槐多と関根正二」、美術館のコレクション・パンフレット、2006.6.28
ワークシート;村山槐多・むらやまかいた 《自画像・じがぞう》
《自画像》;他の作品解説

略歴

1896(明治29)年  神奈川県横浜市に生まれる。

1900(明治339年   京都に移る。
          山本鼎の影響で京都府立一中在学中に画家を志す。
1914(大正 3)年  京都府立一中を卒業。上京して小杉未醒(放庵)邸に止宿し、小杉の勧めで再興日本美術院の研究生となる。
           そのとき高村光太郎の工房にも出入りした。
           第1回二科展に「庭園の少女」などを出品し、そのうちの1点が横山大観に買い取られる。
1915(大正 4)年  第2回美術院展に「カンナと少女」を出品し院賞受賞。

1916(大正 5)年  モデルのお玉に恋愛するが、失恋する。院展も落選する。 

1917(大正 6)年  秋の日本美術院展で「乞食と女」を出品し、院賞受賞。日本美術院院友に推挙される。 

1918(大正 7)年  酒びたりの生活を続け喀血、翌年死去する。

館蔵作品

作品名 制作年 材料 寸法
自画像 1916(大正5)年 油彩・キャンバス 60.5×50.0
人物のいる農村風景 1911-18(明治45-大正7)年 鉛筆・紙 38.3×53.0
詩『紫の天の戦慄』1 1914(大正3)年 墨・紙 23.1×31.7
詩『紫の天の戦慄』2 1914(大正3)年 墨・紙 23.1×31.7
しゃがんだ男 1915(大正4)年 インク、水彩・紙 22.8×14.0
石仏 *裏:着物の女と女の顔 1915(大正4)年 鉛筆・紙 22.8×14.2
路傍の石神 *裏:左向きの女の顔 1915(大正4)年 鉛筆・紙 22.9×14.1
着物の女と女の顔 *裏:石仏 1915(大正4)年 水彩、インク・紙 22.8×14.2
左向きの女の顔 *裏:路傍の石神 1915(大正4)年 水彩・紙 22.9×14.1
癩者と娘等 1915(大正4)年頃 インク・紙 14.4×22.5
交接 1915(大正4)年頃 インク・紙 21.2×16.5
座る裸婦 1915(大正4)年頃 インク・紙 22.0×16.7
両手を胸の前にした裸婦立像 *裏:右手を胸にした裸婦立像 1915(大正4)年頃 インク・紙 21.1×14.5
右手を胸にした裸婦立像 *裏:両手を胸の前にした裸婦立像 1915(大正4)年頃 インク・紙 21.1×14.5
両手を開いた裸婦立像 *裏:顔と風景 1915(大正4)年頃 鉛筆・紙 21.2×16.5
顔と風景 *裏:両手を開いた裸婦立像 1915(大正4)年頃 墨・紙 21.2×16.5
詩『つばき』 *裏:座った裸の男 1917(大正6)年 インク・紙 15.8×21.2
詩『深夜の耳』 1917(大正6)年 インク・紙 19.9×15.3
詩『どうぞ裸になって下さい』 1917(大正6)年 インク・紙 16.7×20.9
信州風景(山) 1917(大正6)年 木炭・紙 58.7×38.0
三人の人物 1917(大正6)年頃 水彩・紙 124.0×30.0
詩(わたしはなにだろう・・・) *裏:詩(赤いびろうど・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.7×20.9
詩(赤いびろうど・・・) *裏:詩(わたしはなにだろう・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.7×20.9
詩(火花の様に飛んではねて・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 14.5×20.0
詩(勝て勝て勝て・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 14.6×20.0
詩(ぶどうの房のごとく・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 15.2×20.0
詩(真赤な幕を引くと・・・) *裏:詩(どこで生れ、いつ生れ・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.8×20.9
詩(どこで生れ、いつ生れ・・・) *裏:詩(真赤な幕を引くと・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.8×20.9
詩(桜の花が咲いた・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 17.0×20.9
詩(私は死を怖れない・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 17.0×21.0
詩(ほんとの事はただ一つ・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.7×20.9
詩『宮殿指示』(みなさま御覧なされ・・・) *裏:詩『宮殿指示』(蜜蜂が数萬御殿へ・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.4×21.2
詩『宮殿指示』(蜜蜂が数萬御殿へ・・・) *裏:詩『宮殿指示』(みなさま御覧なされ・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.4×21.2
詩(世界がかきくもる・・・) *裏:詩(走る走る走る・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.4×21.1
詩(走る走る走る・・・) *裏:詩(世界がかきくもる・・・) 1918(大正7)年 インク・紙 16.4×21.1
踊るピエロ 1918(大正7)年 鉛筆・紙 20.3×14.5
船の人 *裏:9月20日 日記 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.1×20.1
両手を胸の上に置いた裸婦立像 1918(大正7)年 鉛筆・紙 21.3×14.5
裸婦立像 *裏:女の顔 1918(大正7)年 鉛筆・紙 22.3×14.4
詩(血が私の口から滴り・・・) 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.7×20.9
詩(自ら私は腕を見、足を見る・・・) *裏:詩1(くだく男)詩2(風に吹かれて草木は・・・) 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.6×21.0
詩(藝術を作り藝術の悦楽に・・・) *裏:短歌2首 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.4×21.1
詩(物はこまの様に・・・) *裏:詩(運命は美しい布だ・・・) 1918(大正7)年 鉛筆・紙 15.5×23.5
詩(運命は美しい布だ・・・) *裏:詩(物はこまの様に・・・) 1918(大正7)年 鉛筆・紙 15.5×23.5
詩『曇りし日の数分』 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.5×21.0
詩『木と空と』  *裏:詩(私はそっとつぶやいた) 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.5×21.0
詩1(くだく男)詩2(風に吹かれて草木は・・・) *裏:詩(自ら私は腕を見、足を見る・・・) 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.6×21.0
詩(私はそっとつぶやいた)  *裏:詩『木と空と』 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.5×21.0
9月20日 日記 *裏:船の人 1918(大正7)年 鉛筆・紙 16.1×20.1
詩『わが命に』 1918(大正7)年 鉛筆・紙 17.0×20.9
女の顔 *裏:裸婦立像 1918(大正7)年 水彩・紙 22.3×14.4
男の顔 *裏:人物(3人) 1918(大正7)年 墨・紙 20.1×15.3
立っているピエロ *裏:詩(5-53) 1918(大正7)年 木炭・紙 20.3×14.5
座った裸の男 *裏:詩『つばき』 1918(大正7)年頃 インク・紙 15.8×21.2
詩『死の遊び』 *裏:(着衣モデル) 1919(大正8)年 インク・紙 16.8×21.2
短歌 2首 *裏:詩(藝術を作り藝術の悦楽に・・・) 1919(大正8)年 鉛筆・紙 16.4×21.1
稲生氏へのラブレター1 制作年不詳 インク・紙 23.0×32.0
稲生氏へのラブレター2 制作年不詳 インク・紙 23.0×32.0
(着衣モデル) *裏:詩『死の遊び』 制作年不詳 インク・紙 16.8×21.2
人物(3人) *裏:男の顔 制作年不詳 鉛筆・紙 15.3×20.1
詩  *裏:立っているピエロ 制作年不詳 鉛筆・紙 14.5×20.3
裸婦 制作年不詳 水彩、鉛筆・紙 102.0×42.0
ピンクのラブレター 制作年不詳 墨、水彩・紙 23.4×31.7
ページのトップへ戻る