中村彝 なかむらつね
生没年
1887-1924
出身国
日本
記事
没後60周年記念中村彝展図録 1984.10
ひるういんどno.9(1985.2) 原田光 「ひとつの作為(寄稿)」
東俊郎 「弓鳴ろうとするもの」
山口泰弘 「彝の時代について偶感」
牧野研一郎 「カルピスの包み紙のある静物」余談
中谷伸生 「大正末期の彝」
毛利伊知郎 「三重県立美術館所蔵の中村彝」
略歴
1887(明治20)年 茨城県に生まれる。
1906(明治39)年 白馬会研究所に通い黒田清輝の指導を受ける。
1907(明治40)年 太平洋画会研究所に移り、中村不折、満谷国四郎の指導を受ける。
1910(明治43)年 第4回文展に<<海辺の村>>を出品、三等賞を受賞。
1911(明治44)年 新宿中村屋裏の故荻原守衛のアトリエへ移る。
1913(大正 2)年 ルノワールの画風に傾倒した<<少女>>が第8回文展で三等賞を受賞。
1915(大正 5)年 太平洋画会に<<大島風景>>を出品。
1920(大正 9)年 第2回帝展に<<エロシェンコ像>>を出品し、賞賛を受ける。
1924(大正13)年 喀血のため自宅で死去。
館蔵作品
作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 |
---|---|---|---|
婦人像 | 1922(大正11)年頃 | 油彩・キャンバス | 45.5×33.4 |
髑髏のある静物 | 1923(大正12)年 | 油彩・板 | 35.5×25.0 |
自画像 | 1922(大正11)年 | 木炭・紙 | 28.8×24.2 |
中原悌二郎像 | 制作年不詳 | コンテ・紙 | 29.2×21.2 |