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岸田劉生 きしだりゅうせい

生没年

1891-1929

出身国

日本

記事

岸田劉生  「麦二三寸」 コレクション名品選のページ(東俊郎)
田中善明「萬鐵五郎と岸田劉生にみられるデフォルマションの特色について」 1910年代展図録 1995.10
ひるういんどno.53(1996.3) 田中善明 「岸田劉生 『B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)』(表紙解説)」
東俊郎 岸田劉生|麦二三寸 友の会だよりno.45 1997.9.26
東俊郎 岸田劉生|冬瓜茄子之図 友の会だよりno.56 2001.3.15
東俊郎 作品解説;岸田劉生《麦二三寸》、三重県立美術館所蔵作品選集 2003.10
学校美術館尾鷲市展パンフレット(2004.6) p.3
ステキ新聞2号おもて 2004.7
東俊郎 岸田劉生の日記を読む 研究論集no.4 2005.3.31
学校美術館ガイド 2006年9月29日 伊賀市立府中小学校
学校美術館ガイド 2006年10月20日 鈴鹿市立加佐登小学校
《麦二三寸》;他の作品解説

略歴

1891 東京銀座に生まれる。

白馬会研究所で洋画を学ぶ。
雑誌『白樺』とその同人を通じてゴッホ、ゴーガンなどポスト印象派の画家を知り、その強烈な自我意識に共鳴する。
1912 萬鐵五郎らとヒュウザン会を結成し白馬会的な外光描写に反旗をひるがえした。
間もなく図版を介して知ったデューラーなど北方ルネサンスの画家たちに魅かれ、精密な写実的表現に進路を見出し《麗子像》シリーズなどの代表作をうみだした。

1915年から22年まで草土舎を主宰、同会解散後は春陽会に客員として迎えられた。

後期には宋元画に関心が移り、多くの日本画を制作している。

『劉生画集及芸術観』をはじめ著書も多い。

館蔵作品

作品名 制作年 材料 寸法
冬瓜茄子之図 1926(大正15/昭和元)年 絹本着色 37.0×50.6
麦二三寸 1920(大正9)年 油彩・キャンバス 37.5×45.5
自画像 1917(大正6)年 クレヨン、コンテ・紙 29.8×23.0
照子素画 1919(大正8)年 水彩、 コンテ・紙 36.2×28.4
「天地創造」より 1. 欲望 1914(大正3)年 エッチング・紙 12.5×12.5(イメージサイズ)、紙サイズ63.2×43.5
「天地創造」より 2. 怒れるアダム 1914(大正3)年 エッチング・紙 12.5×12.5(イメージサイズ)、紙サイズ63.2×43.5
「天地創造」より 3. 石を噛む人 1914(大正3)年 エッチング・紙 12.5×12.5(イメージサイズ)、紙サイズ63.2×43.5
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