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子どもの成長を願い祝う 県内の初誕生儀礼



 誕生したばかりの子どもは肉体的にも社会的にも不安定な存在で、かつては出産直後から様々な儀礼が行われた。七日目には「七夜(しちや)の祝い」といって名前を与えられ、正式な「個」として社会的に位置付けられる。その後、宮参りによって氏子の仲間入りを果たし、食い初(ぞ)め、初誕生、初節句、三歳・五歳・七歳の儀礼というように、成長の節目で様々な儀礼が行われる。
 今日は、その中から現在でも多くの家庭で行われている初誕生の儀礼の話を、これまでの県内の民俗調査の記録に基づいてしようと思う。
 初誕生とは、生後満一年目の誕生同月日にお祝いをするもので、この時期は、ちょうど子どもが立ち歩きを始める発育段階に当たり、初誕生の儀礼は子どもの歩行にまつわるものが多い。
 県内では、このとき行われる儀礼をハツタンジョウ・タンジョウイワイ・ヒトタンジョウ・アルキゾメ・オイナカセ・シキコサスなどという。この日親戚近所を招いて宴を開くか、餅や赤飯を作り、それを親戚や近隣に配って祝った。
 このときの餅は嫁の実家方が用意する所もある。餅は普通一升取りの重ね餅が多いが、磯部町築地では「三升で小餅」を作るという。餅の種類は白餅・紅白餅・きなこ餅・ぼた餅・餡入り餅など地域によって様々である。中でも、桑名市多度町、同市長島町、木曽岬町では、足形の餅(足形餅)を配って祝う習慣がある。
 餅は単に贈答だけではなく、子どもに背負わせて歩かせる儀礼を行う地域が県内広く見られる、このとき、竹製の箕(み)の中に立たせ、火吹き竹などを杖として持たせるところがかなりある。また、主に伊賀と東紀州に見られるように、餅を背負わせてわざと転ばせる地域もあり、そのため、こうした餅をタンジョウモチのほかに、シリモチ・シリヒキモチ・チカラモチという。子どもに背負わせた餅を、縁起物として実家や親戚近所に配ることも行われた。
 名張市薦生では、箕の中に豆を入れ、一升升(ます)を伏せた上に立たせ、周囲にそろばん・筆・アマダイ(針箱)を置いて、転んでから拾ったものが上達するといわれた。このように初誕生の儀礼の際、子どもが手にした物で、将来を占う風習は、伊賀市鞆(とも)田(だ)地区・いなべ市大安町にも報告があり、北西部の県境に沿って分布している。
 初誕生を祝う場合、餅を背負った子どもが立って歩くことを望み、子どもに手を添えたり、歩く練習と意識している地域があるが、既に述べたように伊賀や東紀州では子どもが転ぶことを望む地域もある。この例は、後述する誕生前に歩いた子どもに対する風習と類似しており、一種の厄払い的な意識があったのかもしれない。
 初誕生の祝いは、子どもの歩み出しを祝い、または望む儀礼として行われたのであり、初誕生の祝い餅を受け取った家が、お返しとして脚部に着ける衣類(ズボン)・履物(靴・下駄・草履など)を贈る事例が多く報告されている。
 初誕生の儀礼として、これまでの民俗調査で報告例が多いのは、満一歳の誕生日を迎える前に立ち歩きを始めた子どもに対するものである。早く歩き始めると「親の足を取る(親が早死にする、病気になる)」とか、子どもが親元から早く(遠く)離れるといって嫌い、この日餅を背負わせて転ばせたり、餅を投げぶつけて倒したり、餅で押して転ばせる。この場合もやはり箕の中に立たせ、火吹き竹を杖にする地域がある。地域によってこれをウッタオシ(打ち倒し)という。
 参照した記録は、調査・成立年代にばらつきがあるものだが、大まかに傾向を見ると、餅を背負わせせる地域は、三重県の北半部、餅を投げる地域は、志摩地域と現南伊勢町に分布し、鈴鹿から松阪まで中勢地域は両方の習俗が混在している。また、餅で押し倒す地域は、小俣町・度会町・志摩町の一部で局地的に分布しているといえそうである。

(県史編さんグループ 石原佳樹)

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